riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">無名の人</span>


 
  無名の人

 このドキュメントはあいち国際女性映画際2006観客賞受賞作品なのに私は観逃していた。
ナレーターは吉永小百合。むみょうの人と読みます。この石井筆子を実写版で演じるのは常盤貴子
こんな立派な人を知らなかったなんて。

「男女の.....同等の権利を具備するものにして男子の為に女子あるにあらさるは猶女子の為に男子あらざるがごとし.....世の論者、女子に高等の教育を授くるは結婚を忌むの媒となる
」だから女の教育はある程度でやめるがいいというのは女子の心理を知らないものの説だ
という冒頭の彼女の著作のナレーションで私はもうぐっときてしまつた。

平塚雷鳥の10数年前に男女平等を唱えた石井筆子は、アメリカ18代大統領に拝謁したり二年もフランスに留学、津田梅子とは仲が良かった。明治初期の日本は女子も留学に出すなど解明的だったのもつかの間。男子留学生なら短期でも出世するのに10年以上アメリカで勉学し優秀でも大山捨松のように鹿鳴館の花にしかなれない無念。結婚しなければ一人前と思われず
結婚しても夫の付属物の時代。江戸時代までは、上流層以外の働く女性はなかなか強い面があった。ところが自由民権運動を押しつぶした明治政府は反動化、女性には武士階級の不平等を法律としてしまった。


 石井筆子のお顔の凛として美しいこと。
当時としてはめずらしく教育者と家庭を両立させたが病弱な子供や夫に先立たれ残る長女は障害者だった。

彼女は1898年、男女平等論を訴え、同年津田梅子と日本女性を代表してアメリカで開催された「万国婦人クラブ会議」出席。
これを契機に華やかな生活から一変し困難な福祉の道へ。日本初の知的障害児の施設、学園の創立者の石井と結婚。

石井は濃尾地震で孤児となった少女の為に学園を開いたがその中に知的障害を持った子がいた。小泉政権になって弱者いじめの法律が目立つがこの時代はさらに過酷。

映画の終わりのほうに筆子のアルバムが出てくるのだがこれが又彼女の人柄を彷彿とさせる。このようなかけがいのない先駆者の存在を広く知ってほしい。