riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">「魚屋宗五郎」と「本朝廿四孝」</span>





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玉三郎「魚屋宗五郎」の(女房おはま、初役)と「本朝廿四孝」の(八重垣姫、16年ぶり)を1日で見られるなんて。歌舞伎は不思議でなんて面白いのでしょう。写真をご覧ください。
玉三郎のおかみさんは<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/18088865.html">「牡丹灯籠」</a>で証明済み。汚いおかみさんも綺麗なお姫様もできますよ。前から伝法なお六などが好きと言われてました。

お姫様役苦手とおしゃいますが八重垣姫の可愛いこと。
心がはいってるからなおさらでしょう。

歌舞伎は50からでしたか。
宗五郎の菊五郎丈、素晴らしいでしょう。
息子さんの菊之助は花形。腰元と勝頼の写真です。
お母様に似てとても綺麗です。

玉三郎は身長があるので無理な体勢で相手役に合わせてきた。あの衣装、かつらで数十キロ。それを重いと感じさせないで踊ったり立ったり座ったり。並の体力では女形は出来ない。

歌舞伎はちょっと、と思われる方も、「魚屋宗五郎」はお勧め。テレビ放送もよくあるのでいかがでしょうか。
お酒好きな方はもちろん、苦手な方も。
禁酒していた男があることをきっかけに酒乱になり旗本の屋敷に押しかけ大暴れ
江戸時代の庶民の話ですが現代に通じ、どこの国の方でも爆笑すること請け合いです。

河竹黙阿弥が、五代目菊五郎の為に書いたと言う名作です。
菊五郎丈「磯辺屋敷の玄関先での泣き上戸、怒り上戸、笑い上戸になってのセリフが一番難しい、何しろ体力のいる芝居です」

いかにもおいしそうに飲む所なんかは酒飲みより下戸のほうが上手いとどこかで聞きました。

あらすじ 歌舞伎座HPより
魚屋宗五郎(菊五郎)の妹お蔦は、奉公先で不慮の死を遂げ、宗五郎の女房のおはま(玉三郎)が、弔問にやって来た菊茶屋女房のおみつ(萬次郎)とその娘のおしげ(松也)をもてなしています。お蔦の父の太兵衛(團蔵)や小奴の三吉(権十郎)は、奉公先の磯部邸へ殴り込もうと息巻きますが、これを宗五郎がたしなめます。
 そこへお蔦と朋輩であったおなぎ(菊之助)がやって来て、お蔦が濡れ衣を着せられた上、手討ちに遭ったとその死の真相を語ります。これを知った宗五郎は、おなぎの持ってきた酒を飲んで、気を晴らそうとしますが、口をつけたが最後、ついには全て飲み干して…

以下は玉三郎HPより
「本朝廿四孝」は20年ぶりでございますが、私が初めて演じたのは昭和51年の南座でその時は御殿だけでした。金閣寺」の雪姫などは主人もおりますし、絵描きでもあり芯の通った女性ですが、八重垣姫はただただ勝頼を恋しいと言う想いと、一途に自分の道を走っていく姫でございます。しかし御殿の方では柔らかい雰囲気を出さなければならない役で、実は体の大きな私には姫物と言うのは大変難しいのでございます。何とかお目こぼし頂いてご覧頂ければと思います。九月秀山祭の早瀬と岩長姫。10月芸術祭のおはまと八重垣姫。昼と夜ではずいぶん違う役柄を演じさせて頂きます。俳優と言いますのは役柄の違うものをやり分けることの困難もありますが、ある意味ではやり甲斐のあることでもございます。

「魚屋宗五郎」の女房おはまを演じさせて頂きました。この役を演じていますと宗五郎という役を引き立てて、お芝居を盛り上げる大切な女房役と言うことがつくづく理解出来るのです。歌舞伎は、時代物や世話物、また新作など色々あるのですが「魚屋宗五郎」の幕が下りますと直ぐにお化粧を八重垣姫にし直しまして全く状況の違うお役を演じさせて頂くということになります。私が八重垣姫を演じますのは今回で3度目でございます。前回は16年ほど前の『歌舞伎座100年』のときに演じさせて頂きましたが、この年齢になりまして八重垣姫を演じますことは難しく感じました。姫の中でも特に赤姫と申しますのは、色々な思いを心の中に、持っておりまして、それを外側に現さないことが大切な演じ方の一つでございます。動きはバタバタとせずに卵の中に入るような丸い動きをしなければなりませんし、左右の振りごとをする時には、ちんと左右を見なければならず動きを省略することは叶いません。またおっとりした動きをしなければなりません。
 先日八重垣姫を演じまして一つ気がついたことがございました。今年の3月、5月に「牡丹亭」と言う作品を蘇州昆劇院の方々と演じさせて頂きましたが、この作品も男性と恋愛をしたことが無い深窓の令嬢が夢の中に現れた男性に恋い焦がれて死んで行くのですが、これは5~600年前の中国演劇の歴史の中でも女形の代表作と言われている作品です。いわゆる、目の前に居ることもなく、実際恋人になっていないにも関わらず、そこに激しい恋心を抱くことに女形の芸術として成立させ、女形の代表作として中国で長く伝わっているのでございましょう。八重垣姫も叶わぬ恋い心に激しく突き動かされて猛進していくわけでございますが、この事に関して理解できずどのように演じれば良いのか考えたことがあります。「牡丹亭」をやっておりまして、夢に出て来た人に恋い焦がれて死んで行くという、現実にはあり得ないことが、演劇の中で成り立っていくことによって大きな共感を得ることもあるのでしょう。そのようなことを考えていきますと八重垣姫はやはり自分の恋人だという確信はありますが、その恋人が、実際に自分をどれくらい思ってくれているのか全く解らない段階で、自分の命を懸けてしまう、そういうところに共通点を感じたのでございます。自分の夫が死んだのではないか…と思い、お香を焚いて思いにふけっておりますところ、そっくりな男性を目にしてしまい『この人が私の本当の恋人ではないか』と思い、その勝頼は自分に対して何も意思表示してくれないのに、凍った諏訪湖の上をお稲荷様に守られながら恋人の所へ駆け抜けて行くのです。それをさもそこで深窓の令嬢が恋心を燃やし尽くし、激しい恋心となっていくところに、お芝居の見せ場となり、また女形の代表作となっているのでしょう。