<span itemprop="headline">バラも咲くフジタのパリ郊外のアトリエ訪問</span>
今まで一番夢のようだった旅はレンタカーで巡ったイギリス、コッウォルズの名園巡りです。
今回は車がないのでに地下鉄、郊外高速電車、トラム、タクシー、日本の新幹線のような特急電車、車に乗せてもらう、など何でもありでした。
モンサンミッシェルやロワールの古城巡り
モネの庭などは観光バスで行くことができましたがパリ郊外のフジタのアトリエ、ランス(シャンパンワイナリーのツアーはあります)の礼拝堂、ナンシーなどは自力で行くしかありませんでした。
モネの庭などは観光バスで行くことができましたがパリ郊外のフジタのアトリエ、ランス(シャンパンワイナリーのツアーはあります)の礼拝堂、ナンシーなどは自力で行くしかありませんでした。
このアトリエはトワルドジュィ美術館からタクシーで行きました。
ライレローズからバス、トラムに乗ってベルサイユへ、そこからの地下鉄の乗り換えに失敗しトワルドジュイ美術館に行くためにタクシーで。
このままでは時間なくなると思い、同じタクシーに待ってもらいました。
だからトワルドジュイ美術館は短時間で切り上げなければなりませんでした(泣)
だからトワルドジュイ美術館は短時間で切り上げなければなりませんでした(泣)
フジタのアトリエは土・日は予約なしで無料で見学できますが、土曜日は午後二時から。
海外の美術館、名園は時間がまちまち、
ウィリアム・モリスのマナーハウスは週一日水曜日だけ公開でした。
子供の時は絵を描くのが好きで、油絵習ったり、講談社の日本近代絵画全集を買ってもらいっていました。
今思えば、少年少女世界文学全集(挿絵は原爆の図でも有名な丸木俊など)やこの画集は高かったので両親には負担だったと思います。本好きになったのも感謝しています。
今思えば、少年少女世界文学全集(挿絵は原爆の図でも有名な丸木俊など)やこの画集は高かったので両親には負担だったと思います。本好きになったのも感謝しています。
昨年、日本でフジタ展がありアトリエやランスのフレスコ画の再現があり、鳥肌立つぐらいで行くのが夢になりました。
2004年にオランダのフェルメール、イギリスのミュージカルとコッウォルズ、ホワイトガーデンで有名なシシングハーストの名園巡りの後にパリに行ったのでモネの庭、、マルメゾン、ルーブルのフェルメール鑑賞で疲労困憊、でナンシーに行く余裕はありませんでした。
(この建物内に受付、ビデオ鑑賞などの部屋があります。つめたいお水も頂けて甘露でした)
アトリエ内撮影禁止。とてもこじんまりした感じでフジタ手作りの箱、洋服、骨董などが一杯。
ロダン美術館などは立派な貴族の邸宅のようですが、これはつつましい、暮らしやすそうな、アトリエでやっぱり日本人だなと思いました。
この建物はフランスに寄贈されました。
その他にも大変親切にしていただきました。
ランスのフジタのフレスコ画のある礼拝堂も同じく予想よりこじんまりとしていました。
長くなりましたので次回美術展カタログの写真で内部ご覧ください。
長くなりましたので次回美術展カタログの写真で内部ご覧ください。
以下は引用です。レオナール・フジタ展エコール・ド・パリの寵児として20世紀のフランスで才能を開花させた藤田嗣治(1886~1968)は、「素晴らしき乳白色の地」による裸婦像でその名声を確立しました。一時帰国した戦時中は日本洋画壇の中心的役割を果たしますが、戦後は再び日本を離れ、フランスに帰化。
キリスト教の洗礼を受けてレオナールと名を改めたフジタは、故国日本に戻ることなくこの世を去りました。
1992年、フランス・オルリー空港近くの倉庫で、縦横3メートルの大作4点が発見されました。「構図」「争闘」と呼ばれるこれらの連作群は、一部が日本で公開されたものの、その後所在が不明になっていたフジタの「幻の作品」でした。
これらの作品は、藤田が最晩年を過ごしたアトリエとともにエソンヌ県の所有、ひいてはフランスの国家財産となり、このたび6年に及ぶ大掛かりな修復作業を経て、往年の輝きを取り戻しました。
本展は大きな話題を呼んだ大作4点を軸に、日本で手掛けた大作、ランスの「平和の聖母礼拝堂」建設のための資料、そして、晩年フジタが手作りした日常小物、食器など、120点余りの作品で天才画家の人間像に迫ります。
フジタの猫と名画の中の猫猫好きな方はぜひご覧ください。