riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">続ナンシー派美術館とガレ</span>



  


皆さまはどのバラ文様がお好きでしょうか、最後にもバラ文様があります。

一枚目は、1902年頃のエミール・ガレ  の有名な「フランスのバラ」
これは北澤美術館で観ました。

二枚目は1909年頃ドーム兄弟の「薔薇文香水瓶」可憐な薔薇でガレ以上にジャポニズムを代表していると言われています。


  
 

三枚目はガブリエル・ルソーの「薔薇文卓上ランプ」1920年頃、初期のアールデコ(arts d coratifs の略。装飾美術の意。それ以前のアール-ヌーボーが曲線を主とするのに対し、現代都市生活に適した実用的で単純・直線的なデザイン)

四枚目は1900年頃、ミュラー兄弟の「バラとアジサイ文ランプ」

この4枚は前にもご紹介したボタニカルアートと花の名画 バラの美術館」から。この本はアンティーク屋さんのレストランにおいてあり、内容も素晴らしいので取り寄せました。

百合、蘭、果物の美術館とシリーズになっています。

「ユリの美術館」もほしかったのですが手に入らないの出図書館にリクエストしたら三重県の図書館から借りてくれました。

この本は、中世、ルネサンスロココボタニカルアートクリムトゴッホ、ロセッティなどのバラの名画も載っています。




  
 
光の魔術師エミール・ガレ と北海道近代美術館の鯉文花器
ガレが尊敬していた北斎の鯉の図案は色々な作家が引用している。

北斎は世界1999年に米誌「ライフ」が選定した『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』に入ってますね。

ガレが三歳まで北斎は存命していました。

ガレはそのほかに ユゴー を愛読し、ウィリアム・モリス にも共鳴していて、私の好きな人物がこのようにつながっているのを知るのは嬉しいことです。





ガレのバラは咲き誇る薔薇ではなく蕾やしおれていく薔薇。
はかない自然の命を愛しいとおしんだガレ。

ガレはアール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者。

アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)は、19世紀末から20 世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用…


  

19才のガレの写真。ドイツ、ワイマールに留学したガレ!
リストやワーグナーと知り合い、生涯、ワーグナーの音楽に親しむ。
ワーグナーの長いオペラに私も一時はまったのが自分でも驚きだった。)

ガレの住むナンシーにフランス語を話す日本人が留学、農商務省林業技師、高島得三である。彼はのちに画家となり北海と称する。彼はガレとも盛んに交流。

「工芸美術の職人に身分階級はないのです。」
工芸が美術展の対象から除外されてきたことに対して、その認識をあらためさせること、又宝飾や陶器がよくて、ガラス工芸が認められないと言う従来のしきたりに対して、ガレは辛抱強く、その非なることを説明し、解説した。
世の不正、邪悪なるものに対して憤ったガレ



 

ナンシー派美術館にあるガレが死の直前に完成させたベット「黎明と黄昏」
黄昏にはかなく落下する蝶の群れ、気味が悪いという方もいますがこの実物の迫力、これを見るだけでも行った価値があります。

ナンシー派美術館は写真が撮れません。ボケていてすいません。
建物外観や庭の写真はこちら。
憧れのナンシー派美術館

庭の写真はまだ続きます。

ガレの死後、アール・ヌーヴォーはあっという間にすたれてしまいました。
勿論今は大人気です。日本に沢山ありますね。


 

アール・ヌーヴォー調の室内、ナンシー派美術館、ピアノの外装はガレ


  
 

左、ガレの最高傑作と言われる「オルフェウスとエウリディケ」
二人の別離はフランスからドイツに割譲されたアルザスとロレーヌ地方の寓意になっている?
杯、1889年、高さ26センチ、パリ装飾美術館蔵です。
「もう振り向かないで/振り向けば/私を再びそして永遠に、失うでしょう」の銘が刻まれています。

カウンターテナー・ヨッヘン・コワルスキー主演の「オルフェウスとエウリディケ」も素敵です。LD!鑑賞  衣装は現代的。

米良美一とヨッヘン・コワルスキーの共演も楽しい舞台でした。

光の魔術師 鈴木潔

エミール・ガレ 人と作品 由水常雄などを参考にしました。