<span itemprop="headline">ランス大聖堂2と藤田嗣治</span>
1429年、ジャンヌ・ダルクはシャルル7世を戴冠させるためにオルレアンから敵地を超えてランス入りを決行。百年戦争のさなか、英国王により王位継承権を奪われたシャルルは正式な王となるためにはどうしてもランスに行く必要があった。(ジャンヌ・ダルクが聖女に列せられたのは1920年)
1211年に今の建物を建て始めたが、前の建物を火災で失ったのはシャトルと同じ。違うのはシャルトルの約50年に対し、ランスは260年もかかった!建設資金源となった重税に市民が反発したり百年戦争があったりして遅れに遅れた。
薔薇窓が二つ。写真はこちら。
この大聖堂に入るとあまり暗くない訳は当初のステンドグラスがほとんど残っていないから、18世紀にろうそく節約のために一部のステンドグラスを透明ガラスに変えてしまった!
第一次世界大戦時にドイツ軍の爆撃によって砕け散っているので結果は同じ。
被害の大きかった彫刻はトー宮殿に移されて修復はいまだに終わっていない。
第一次世界大戦時にドイツ軍の爆撃によって砕け散っているので結果は同じ。
被害の大きかった彫刻はトー宮殿に移されて修復はいまだに終わっていない。
大聖堂の横のインホメーションにランス美術館の藤田特別展の案内がありました。六月下旬までだったのでラッキーでした。
フジタの絵筆や猫のお皿などの展示です。
大聖堂近くのカフェでのサラダランチ
次回はフジタの礼拝堂 下のサイトに綺麗な写真があります。私が行った時は礼拝堂、ランス美術館、パリ郊外のフジタのアトリエ、すべて撮影禁止でした(泣)
コールドパリの日本人画家レオノール 藤田(藤田嗣治)が洗礼親ルネ ラルーの依頼に応じて設計、数々のフレスコ画や内部装飾も彼の手によるもの。フジタ礼拝堂の名で知られ、彼の墓がパリからここへ移された。