riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">日中版牡丹亭と義経千本桜</span>



  




今日は赤坂ACTシアターの日中版牡丹亭の初日です。私は観られませんが(泣)
二年前、南座での日本初演が鑑賞出来たのは生涯の宝かもしれません。
ソプラニスタと言われるほどの玉三郎の歌唱と舞いと演技、夢の世界でした。オペラやミュージカル好きな私なので。

まだご覧になっていない方はシネマ歌舞伎昆劇もありますがぜひ生でご覧ください。

先月27日京都南座義経千本桜」 の通し狂言、千秋楽を鑑賞しました。
楽を狙ったわけではありません。もうこの日しかなくて。

猿之助 の当たり役「義経千本桜」狐忠信を海老蔵 が継承。

宙乗りで三階席の上を通って花吹雪とともに引っ込むのですが友人も海老蔵と目があったと喜んでくれました。役者は皆にそう思わせなくてはね。

三階席最前列で鑑賞。

海老蔵「忠信」「知盛」「権太」 の三役を演じました。

「忠信」 は狐の親子の情愛を描き肉親の幸薄い義経と対比させています。
現代にも通じる話です。狐は海老蔵が演じるほか、着ぐるみ、人形が出ます。そのしぐさだけでも可愛い。



「知盛」はどなたかの「碇知盛」 (いかりとももり)をテレビで見た時の衝撃、この写真だけでも凄そうでしょう。
知盛が碇を身体に巻きつけ崖の上から仰向けに飛込み入水する場面!

平知盛(たいらのとももり)は、平清盛の四男。清盛の長子で異母兄の重盛(しげもり)に次いで一門の人望厚く、重盛、清盛亡き後は棟梁を継いだ兄宗盛(むねもり)を補佐し、事実上の総大将として源氏との戦いに臨みました。歌舞伎美人かぶきびとより


 
壇ノ浦の合戦で平家が敗れ、安徳帝二位の尼に抱かれて入水するのを見届けると、「見るべき程の事は見つ」といって鎧二領を重ねて着し海に飛び込み最期を遂げたと、『平家物語・巻第十一』にあります。
自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したとも言われている。共に入水後遺体となるか、あるいは生きたまま浮かび上がって晒し物になるなどの辱めを受けるのを避ける心得である。 wikiより

「権太」 は名前通り、今でもよくあるやんちゃな悪党なのですが子持ちの役。
海老蔵さんの子供を連想してしまいます。
ここでも権太の両親の情愛や妻子を犠牲にする姿が描かれます。

「小金吾討死の段」(小金吾=薪車 、若衆姿がかっこいい)は歌舞伎の様式美溢れる立ち回りが人気である。今日の型は殺陣師の阪東八重之助が無声映画『雄呂血』の終末近くの立ち回りに啓発されて創り直したものといわれている。 阪妻の『雄呂血』 素晴らしい。


  


玉三郎はこの典侍の局」の他「道行」と「四の切り」の「静御前を演じました。「典侍の局」は未見だったので昼夜通しで観てしまいました。

典侍の局は「大物浦【だいもつのうら】の場」に登場する安徳天皇の乳母【うば】「渡海屋【とかいや】の場」の後半で、船頭の女房【にょうぼう】お柳【りゅう】が実は典侍の局【すけのつぼね】であったことが明らかになります。お柳とは同一人物ですが、衣裳【いしょう】や演技はがらりと変わり、天皇の乳母【うば】としての品格とスケールの大きさが求められます。特に安徳天皇を抱【だ】いて、海に飛び込【こ】む前の「いかに八大竜王【はちだいりゅうおう】」以下のセリフは女房お柳のセリフ廻【まわ】しとまったく異なり、圧倒的【あっとうてき】な存在感が求められます。「渡海屋の場」と「大物浦の場」では同じ人物でありながら、場面に合わせて対照的な演技をする女方の芸が大きな見どころとなります。文化デジタルライブラリーより

悲壮感あふれるでしょう。玉三郎には母性を感じます。
安徳天皇 上村吉太郎君、長時間なのに大変しっかりして感心しました。
写真はないのですが六代君を演じた 小林美穂ちゃんの可愛いこと。

右の写真は蔵王堂の場の華やかな立ち回り、 OSKの東雲あきらも13代目仁左衛門の指導でこのような立ち回りを見せてくれました。



こんな記事を見つけました。さすが玉様、お若い時から違います!


“天性の美”と幅広い芸域] 座談会でチョボの手薄が話題になった。
それまで孝夫のそばでひっそりとしていた玉三郎が、顔色を変えて急にしゃべり始めた。

将来の歌舞伎は下のほうから崩れていくのではないか。義太夫を語ってくれる人がいなくなって、僕たちはテープの義太夫で芝居をするようになるのではないか。弟子の養成を怠っていると、やがては深刻なワキ不足に見舞われ、歌舞伎は滅亡していくのではないか。

 「だから、僕はおとなになったら、歌舞伎の危機を積極的に訴えます。これは上方歌舞伎の問題を超えたものです」

ほおを紅潮させ、真剣に話す玉三郎。繊細さの内に秘められた強じんさ。玉三郎の、したたかな〝役者根性″をかいま見たようで、印象に刻まれている。

翌日、南座の楽屋に仁左衛門を訪ねてこの話をすると

「あの子(玉三郎のこと)は一見なよなよして弱そうにみえるが、シンは強いものをもっている。いい女形になりますよ」と目を細めていた。

ジワ呼ぶ役者

歌舞伎用語で“ジワがくる”という言葉がある。人気役者の登場で、客席の吐息がさざ波のように場内に流れる。戦後の歌舞伎では、故団十郎歌右衛門にジワがあった。故団十郎助六歌右衛門の八ツ橋などは〝歌舞伎の華″で、場内の熱気はすさまじかった。いま、ジワを呼ぶ役者といえば、衆目の見るところ玉三郎である。

 「かさね」や「娘道成寺」で玉三郎が登場すると、客席から“ほうっ”と嘆声がもれる。かぼそい容姿、たおやかな風情。妖(あや)しい女形の美に場内は酔ってしまう。

玉三郎が現出する美は、男でもなく女でもない異様な美しさにある。被虐美というのか“毒ある美”というのか。その美に魅せちれて、六年前から玉三郎を撮っているが、当初のういういしさから、最近は成熟した美しさへと変ぼうした。美が輝いている」

――写真家の篠山紀信さんは、“魔力ある被写体”をしつように追い続けている。



以下は玉三郎HPより

主役が狐ということもあり、 武士から狐への早変りや、欄干渡り・宙乗りなどのケレンと呼ばれる派手な演出が客席を湧かせる。歌舞伎は明治時代から昭和にかけて高尚化を目指し、ケレンを廃する演出が志向されたが、この場面はそういった時代にもケレンの代表演目として演じ続けられてきた。京都南座で「義経千本桜」の通し狂言でございまして、市川海老蔵さんが大変活躍なさった月でした。私は「典侍の局」、「道行」と「四の切り」の「静御前」を努めさせていただきました。2年前にも歌舞伎座で上演させて頂きましたが、9月は「忠信」「知盛」「権太」と海老蔵さんが通しで三役お努めになら、肉体的にも精神的にも大変だったことと思います
鴨川を見ていますと、いつもより水が少なく、川の生き物は大丈夫かなあと思いながら眺めていましたが、雨が降ると激しい流れになって、草も魚も流されてしまうほどの濁流になっていました。ホテルと劇場の行き来だけで、殆ど外に出られない日々が続き、少しは外気に触れたいと比叡山の梺まで車で上って行きましたら、空気が澄んでいて、京都の町が綺麗に見下ろせました。川や山など全ての意味で京都には自然を沢山感じられます。
 さて、今月は赤坂ACTシアターで「牡丹亭」を上演させていただきます。3日の夜には昆劇院の皆様が東京に到着します。2006年から蘇州昆劇院に通い中国のお芝居を勉強してきまして、2008年の3月に南座公演から始まり、その年の5月の北京公演。蘇州・上海での公演を度々重ねてきまして、この秋に初めて東京での御披露ということになります。先日から色々な記事で昆劇のお話しをしてまいりましたので、皆様もご存じのことと思いますが、昆劇はお芝居は当然のことながら、歌が重要な舞台創りになっていまして、今回の舞台でも自分は、6~7分のアリアが4つ、3分ほどのアリアが2つ、また小さい歌もいくつかあります。これほどの場面で歌を歌うということは、大きなヨーロッパのオペラでも珍しいことだと聞いております。