riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">オランジュリー美術館</span>



 

パリ二日目(6.2)はロダン美術館・オランジュリー美術館・ポンピドゥー美術館 と無謀なハシゴをして疲労困憊に、すべて徒歩。

しかもサンロックホテルは二泊しかできなかったのでロダン美術館、オルセー美術館あたりで泊まろうとして荷物を引っ張りながら。結局空振りで又ルーブル近くに戻りました。

オランジュリー美術館はチュイルリー公園の一角にあるので行きやすい美術館、ちょうど翌日からの花市?準備していました。これも観たかったのですが、ランスやナンシーに行ってしまったので。

オランジュリー美術館は改装前に一度行ったのですがこんなに並んだ記憶がありません。作品も増えていて見所一杯でした。日本人も多かったです。
日本にもモネの睡蓮はありますがここはさすが部屋中、ぐるーと睡蓮なので壮観です。
ここは撮影OKなので花の絵中心で。




モネの睡蓮もある大山崎山荘美術館は私好みの英国風邸宅と庭園、民芸運動の河井次郎(かわいかんじろう)・濱田庄司(はまだしょうじ)・バーナード・リーチの作品、アンティークオルゴール、カフェもあります。

電車から見える山の上のこの建物全体がいいですね。




2004年にモネの庭に行きました。

















以下は引用です。
1918年、モネは大連作『睡蓮』の国家への寄贈を提案。1926年に86歳で死去する直前までジヴェルニーのアトリエで『睡蓮』に筆を入れつつ、自らの芸術の集大成を飾る美術館の設立を夢見たのでした。
 そして、画家の死の数ヵ月後、チュイルリー公園の一画にオランジュリー美術館が開館しました。モネの構想に基づき、建築家カミーユ・レフェーヴルが手がけたのは、1852年にナポレオン3世が築いた温室(オランジュリー)を改造した建物で、布張りのガラス天井から外光が燦々と降り注ぐ美術館。高さ2m、広さ500m2のふたつの楕円形の間は明るい光に満ち、壁いっぱいに飾られた『睡蓮』が、来館者をきらめく水辺の風景の世界に引き込んでいきました。
2000年に始まった大改装では、オランジュリーがもっともオランジュリーらしかった当時の空間を取り戻すことこそが、最大の目的となりました。キーワードは「光」です。

開館当初のオランジュリーの「光」は、1960年代に行われた改装によって失われてしまいます。展示スペースを拡張するために2階建てに改築され、「睡蓮の間」から自然光が奪われてしまったのです。さらに、ホワイエが壊されて新しい展示スペースへと続く大階段が玄関に設けられたために、「睡蓮の間」へのアクセスが遮断され、美術館全体が回りにくいものとなってしまいました。
 2000年に始まった改装では、美術館からこの60年代の改築の痕跡を消し、モネの構想どおりの「睡蓮の間」が再建されることになりました。まずは、「睡蓮の間」への外光を遮断していた2階部分をすべて取り除く。さらには、玄関の大階段を取り除き、ホワイエを復活させて各展示室へのアクセスを容易にしました。こうして、「睡蓮の間」はガラス張りの天井から自然光が注ぐなかで大連作『睡蓮』の世界を堪能するという、モネが構想したとおりの空間の魅力を取り戻すことに成功しました。2000年に始まったこの改装は、当初の予定以上に長い時間が費やされました。その原因のひとつは、地下への拡張工事を進めていた2003年、16世紀の城壁の遺跡が発見されたことでした。



















セザンヌマティスモディリアーニ、モネ、ピカソルノワールシスレー、スーティンなどの作品を収蔵している。

1区のコンコルド広場の隣、テュイルリー公園内にセーヌ川に面して建っている。もともとはテュイルリー宮殿のオレンジ温室だったが、1927年、モネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館として整備されたのである。

1965年からはフランスに寄贈されたジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨームコレクションの散逸を防ぐために保護に当たっている。

1999年8月から改装のため永らく休館が続いていたが2006年5月再オープンした。