riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センター</span>



 

 ジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センターはこの外観でひいていて今回初めて行きました。この広場は凄く賑やか。

彩色されたむき出しのパイプとガラス面で構成された外観は現代的を通り越して前衛的と呼べ、建物自体がひとつの芸術作品であるといえる。だがパリは伝統的な建築物が多い都市なので、開館当時はパリ市民の間では賛否両論があり、一部の人からは「いつ完成するのですか?」との質問もあったという(むき出しの鉄骨を見て「建築中の建物」と勘違いした)。現在では多くの観客を集めているほか、最上階はパリ展望スポットとして人気がある。 Wikiより引用

パリ二日目(6.2)ロダン美術館・オランジュリー美術館・ポンピドゥー美術館 とハシゴして疲労困憊に、しかもすべて徒歩でした。

作品はあまりに多く…

ポンピドゥーでは北野監督 の映画上映中でした。

この外のエレベーターが日差しが強くて…最上階のレストランからははるかかなたのエッフェル塔やサクレ・クール寺院が望めました。

今回一番高い外食でした、クラブハウスサンドイッチ、ポテトチップも美味しいけれど完食は無理でした。

西日が強くなってパラソルを出してくれました。
テーブルには長い~赤いバラが一輪ずつ。





































バルテュスの絵はエロッチックで不思議です。

日本人の奥様節子さんは女性誌にも登場、あのスイスの邸宅、素敵すぎます。
バルテュスの意志により夫人は基本的に和服であった。

パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、当時20歳だった節子・クロソフスカ・ド・ローラと運命的な出会いをし、1967年に結婚した。節子夫人も画家であり、二人の間には1973年に誕生した娘春美(ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ、ジュエリーデザイナー)がいる。バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服であった。

勝新太郎バルテュスの山荘に招かれ、居合抜きや三味線演奏を行なったことがある(ドキュメンタリー映画バルテュス(原題:Balthus the Painter)」監督:マーク・カイデル)。 リチャード・ギアとの親交もあった。

せっかく偶然メッスに行ったのに遠くから眺めただけのポンピドゥー・センター・メス



以下も引用です。
2010年、設計は、日本人建築家坂茂とフランス人建築家Jean de Gastinesのグループが手掛けた。

この計画は、アンドレ・マルローが文化大臣の時に提唱した「空想の美術館」などに起源を持つ。1960年代前半、ル・コルビュジエの設計による20世紀美術のための美術館をパリ都心に建設するという計画があったが、この計画はコルビュジエの死で流れてしまった。しかしパレ・ド・トーキョーにあった当時のパリ近代美術館は年間の集客が20万人に届かないなど多くの問題を抱えており、1960年代後半に再び近現代美術館計画が浮上することになる。これと同時に、フランス国立図書館の機能を緩和するための新しい公共図書館をパリ都心に造るという計画もあった。ポンピドゥー・センターは、美術館計画と図書館計画の二つが合体したものである。

シャルル・ド・ゴール政権で首相を務めたポンピドゥーはこれらの計画にかかわったが、1969年の大統領就任後、パリ都心に大型建築を建てる適地がボーブール(ボブール)(Beaubourg発音例)地区の大きな屋外駐車場(旧市場、第一次世界大戦の後に空き地となっていた)にしかないことから、1970年に同地区にひとつの大きな建物を建て、その中に近代美術館と公共図書館を同居させる事を決定した。