<span itemprop="headline">阿蘭陀焼憧れのプリントウェア海を渡ったヨーロッパ陶磁</span>
先月初めに行った阿蘭陀焼憧れのプリントウェア海を渡ったヨーロッパ陶磁展です。
西洋骨董も和物も接点があります。お互い影響しあって発展してきました。
川名焼きの銅版転写染付け帆図船図徳利や西洋人物図水屋甕、西洋では中国や日本の磁器に憧れまねしましたが日本でも西洋風の絵柄が気に入りコピーしています。
http://www.sir-japan.com/column/c2-070416.html
江戸時代、オランダ船がもたらしたヨーロッパ各地の陶磁器を、
日本人は「阿蘭陀焼(おらんだやき)」と呼んで珍重していました。
18世紀後期・産業革命下のイギリスで銅版転写技術を用いて文様を施す軟質磁器(プリントウェア)が生産されはじめ、19世紀にはオランダやベルギー、フランスへ生産地が広がりました。プリントウェアの文様はヨーロッパ各地の風俗・名所風景画や理想化された中近東・インド・中国の風景画など、当時のヨーロッパ社会の好みを色濃く映し出しています。
調べてみたら今の昭和警察のあたりに川名南城もあったそうです。
御器所の地名は古く、すでに鎌倉時代にはあったそうです。御器所の由来について「尾張志」は「御器所荘」として「府城東南一里にあり。此地は古(イニシエ)熱田御神領にて、神事に用いる土器を調進する故に御器所と名つけたるよし」と記しています
尾張名所図会に『川名川の下流にして深淵なり。この辺十五軒家とよぶ値り新豊寺山へ至る道にて、土橋を架し樋を伏せて幽遼いふばかりなし』と記されている。山崎川が壇渓橋あたりで湾曲し、丘陵の裾に沿って南流する付近の渓谷を壇渓と呼んでいた
昔からブルー&ホワイトの食器はあきが来なくて使っていますが、コッウォルズやネットで見つけたピンクやパープルの食器も好きで、昨年はパリ郊外のトワルドジュイ美術館も行ってきました。
デルフトの芙蓉手 見込みに主文様を窓絵にして置き、周囲に蓮弁を配し、その中に 宝尽しや花文を入れた意匠の磁器。
と呼ばれている立派なお皿、鑑定団にもよく登場します。
と呼ばれている立派なお皿、鑑定団にもよく登場します。
このチラシの一番上の柄。
柳とオリエンタルな模様で身分差による悲恋物語が伝えられていますがこれは作り話らしいです。
ウィローパターンは18世紀後半に、英国の陶磁器メーカー・ミントンの創始者である
トーマス・ミントンによって創作されたといわれています。
ミントンは陶磁器に転写をする銅板を彫刻する職人でした。ロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドシリーズ、マイセンのブルーオニオン、スポードのブルーイタリアンなどがあります。
スポードのイタリアの遺跡風景、最近ではピンクと呼ばれる赤い食器、マナーハウスや庭の風景画描かれたものが好きです。年?
シュガーポットとクリーマーがウィローパターンです。
以前、大須観音骨董市で買いました。ポットも売っていたのに一回りするうちにほかの人に買われていました。
テュリーン(チュリーン)とはヨーロッパでスープや肉料理などを冷めない様にして蓋付で供する
蓋物、立派です。薔薇の模様や狩する犬。
蓋物、立派です。薔薇の模様や狩する犬。
使いやすいバーレイ社のポット
一番下、左は西洋風景刀掛けです。
http://www.sir-japan.com/column/c2-070416.html
江戸時代、オランダ船がもたらしたヨーロッパ各地の陶磁器を、
日本人は「阿蘭陀焼(おらんだやき)」と呼んで珍重していました。
18世紀後期・産業革命下のイギリスで銅版転写技術を用いて文様を施す軟質磁器(プリントウェア)が生産されはじめ、19世紀にはオランダやベルギー、フランスへ生産地が広がりました。プリントウェアの文様はヨーロッパ各地の風俗・名所風景画や理想化された中近東・インド・中国の風景画など、当時のヨーロッパ社会の好みを色濃く映し出しています
この愛知県陶磁資料館には寄贈された狛犬が別館で待っています。見逃せないコレクションです。