<span itemprop="headline">有栖川宮旧邸宅とはじめての制服</span>
あの醍醐の桜と同じDNAを持つ桜が植えられています。
「京都御所から移築された有栖川宮旧邸宅。平安女学院の有栖館として、保存・利用され ています。 日本庭園の向こうに聳える聖アグネス教会。京都ならではの東西文化の交錯 庭は、明治初めに天才庭園技師として名を馳せた7代小川治兵衛の‥
お庭から聖アグネス教会が見えます。
雨が降り出して水滴がついてしまいました。
雨が降り出して水滴がついてしまいました。
1875年(明治8年)大阪川口居留地でミス・エディが女学校を始め、1880年(明治13年)照暗女学校(セント・アグネス・スクール:St.Agnes' School)と称しました。
明年に普通科4年、高等科2年の女学校規則を制定、1892年(明治25年)に京都府より「私立照暗女学校」の設立許可をもらい、1894年(明治27年)校名を「平安女学院」と改称し翌年、京都にて開校し、今日の幼稚園から大学までの一貫教育校に発展していく礎が築かれたのです。
開校当初は、着物に袴の通学服ですが、1903年(明治36年)に定式の袴を着用し校章入りのバックルを制定しました(図1)。
平安女学院では、1920年(大正9年)に図2のような洋装制服であるセーラー服が導入されました。同時に新たな徽章(バッジ)が制定され、その徽章は今日でも使用されています。当時のセーラー服は、学生に好評であったと言われています。
ユニフォームメーカー株式会社トンボ・ユニフォーム研究所によると
平安女学院が、セーラー服を制服として採用した日本で初めての学校であることが最近の調査で明らかになりました。
こういう写真は資料的な価値がありますね。
私も女性史の本に母の女学校時代の写真を提供しました。
英語禁止、修学旅行も皇居清掃が含まれていました。
母は今でも軍国少女を引きずっています。恐い。
このハイカラな制服の女性の子孫が名乗りあげたそうです。洋犬のお供でしょうか。
昨日載せ切れなかった御所の写真です。