riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">エステ荘の噴水</span>

 
ローマの美術館の話は後回しにしてリストのエステ荘の噴水をよかったらお聞きください。

以前FM放送で小山さんと渡辺徹さんの楽しいクラシック番組を聴いていました。
ローマから地下鉄とバスを乗りついで行きましたのでその体験談と写真は次にご紹介します。
 
以下はWikiからの引用です。
ティヴォリは、ローマの東約30kmにある丘陵にある町。穏やかな気候と豊かな森に囲まれ古代ローマ時代から上流階級の保養地であった。
16世紀半ば、ランゴバルド人の血統のエステ家枢機卿イッポーリト2世・デステアルフォンソ1世・デステルクレツィア・ボルジアの子)はローマ教皇の座を巡る争いに敗れて、1550年9月にティヴォリの隠匿生活を決めた。
イッポーリト2世は、ベネディクト会修道院だった建物を住居として、その周囲に大規模な庭園を作らせた。設計は、ピーロ・リゴーリオ(1500年 - 1583年)で、彼は考古学にも造詣のある人物であった。まず1563年から1565年に斜面をならし、アニオ川から地下水道を別荘内に引き込む工事を行った。1565年ごろから、本格的な建築物の工事が始まりった。しかし1572年にイッポーリトが死去した時点でも、完成はまだ先のことであった。
その後、イッポーリトの甥にあたるルイージ・デステにより別荘は引き継がれるが、彼の財力では別荘の維持が精一杯であった。1605年に、アレッサンドロ・デステの所有となり、レイアウトの変更など大規模な改修が行われた。1641年以降はモデナ公爵家のもとので続けられた。
18世紀に入ると別荘邸宅は放棄され、荒れ放題となったが、1920年から1930年の間、修復運動が行われるようになった。しかし、1944年の爆撃でさらなる破損を被った。
ティヴォリのエステ家別荘(ティヴォリのエステけべっそう)は、イタリアティヴォリにあるユネスコ世界遺産登録物件名。4.5haにという広大な敷地の庭園内には、オルガンの噴水エフェソスのアルテミス(多産の女神)百噴水など使われているモチーフがギリシャ・ローマ時代の噴水500ほど、築かれている。後期ルネッサンス期の代表的な庭園であり、イタリア一美しい噴水庭園として称えられ、現在に伝わっている。
フランツ・リストピアノ曲集「巡礼の年第3年」には、この庭園をモチーフに作曲された曲が3曲収められており、中でも《エステ荘の噴水》は壮麗に吹き上げる噴水を表題とした曲として知られている。
 

オルガンの噴水 [編集]

高い位置に溜めた水をパイプに通すことで、水が10m以上吹き上がることに成功し、完成当時は噴水史上の革命と云われた。