riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ボルゲーゼ公園の馬と犬</span>





政府や東電原発事故について口を閉ざしたり、いい加減な情報を小出しにしても大して大事にはならないけど弱者の個人がちょっと口を滑らせて本当のことをいうと叩かれる‥

福島の桃を友人から送られた人が、直接生産者に食べられないと文句を言ったと。


直接生産者に言わなくてもと涙が出そうになりました。

生産者がお気の毒でならないのですが、

東海テレビセシウムさんで検証番組テロップ作成者解雇



農水省の無策で セシウム米騒動が迫っている (日刊ゲンダイ) すでに昨年産コメが高騰!


初めてイタリアに行ったときはツアーだったけどジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 『アポロンとダフネ』などで有名なボルゲーゼ美術館にはツアーを離れていきました。

どのようにして行ったのか思い出せません。地下鉄?

この美術館の彫刻の見事なこと。

長いすに座っている女性像、なんと言う題であったか。

冷たい大理石のはずが彫刻の生きているかのような美しさに見ほれ、帰国してからブロンズを買ったと言いたいところですが、

ガーデングッズの籠を持つ少女を買ったのでした。(^-^;)

今回はローマ国立博物館
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
古代ローマのディオクレティアヌス浴場跡

の見学の後だったのでタクシーに乗りました。

混雑したローマ市内、このタクシーの運転手の神業のような運転には目をみはりました。

おろされた場所は公園内の馬場に近いところ。









公園内のバラ






そこからどんどん歩いてやっと美術館へ、途中レンタルの二人乗りの自転車?やこのような乗り物にも出会いました。

ベルサイユ宮殿の奥のマリーアントワネットの田舎屋見学のあと、トレインと書いてあるかわいい乗り物に乗ることができました。

疲労困憊だったので助かりました。



ローマ市内、広大なボルゲーゼ公園 (en) の一画にあるこの美術館には、ボルゲーゼ家 (en) 歴代の美術コレクション(ボルゲーゼ・コレクション)が展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。

美術館の建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(en、1576- 1633年)が夏の別荘として建てたもので、1613年ごろ着工。完成は1616年(1621年とする資料もある)。設計者はオランダ人のヤン・ファン・サンテン (Jan van Santen) である。シピオーネ・ボルゲーゼは枢機卿であり、当時の芸術家に多くの作品を注文したパトロンでもあった。

建物の完成から約2世紀を経た19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトが、ボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーヴル美術館に移してしまうという事件があった(当時、ボルゲーゼ家は経済的危機にあって所蔵の美術品を手放しつつあった。加えて、当時のボルゲーゼ家当主カミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼの妻はナポレオン・ボナパルトの妹ポーリーヌであった)。こうした事件を経てもなお、当館にはルネサンスバロック期のイタリア美術の優品が数多く伝えられている。イタリアの国立美術館として公開されるようになるのは1902年のことである。1階には彫刻、2階には絵画を展示する。




そのとき、広い公園だなと思ったのですが、美術館へ行くのに頭が一杯で時間もなく‥











ボルゲーゼ美術館入り口。美術館側から写した写真



1605年、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ(教皇パウルス5世の甥で、ベルニーニの後援者)がそれまでブドウ畑だった場所をローマ史上最大の庭園にすることを決めた。そのブドウ畑の場所は共和政ローマ後期に有名だったルクルスの庭園があった場所だった。19世紀になると、自然な景観を生かしたイギリス式庭園に作りかえられた。ヴィラ・ボルゲーゼの庭園は長い間非公式に公開されていたが、1903年にローマの自治体が買い取り、正式に公園とした。このイギリス風の自然公園にはいくつかのヴィラが含まれている。スペイン広場の階段を登っていくとこの公園に向かうことになるし、ポポロ広場からこの公園の南の一部となっているピンチョの丘に入ることもでき、こちらはローマを一望できる。

この庭園にあった17世紀初期の欄干が19世紀後半にイングランドに持ち去られ、1896年にバッキンガムシャーの大邸宅クライブデン・ハウスの敷地内に設置されている。2004年、この欄干でイタリアのキセルガイの一種 (Papillifera papillaris) が見つかり、イングランドで100年以上も棲息していたことが判明した。





ところが甘かったです。予約で一杯、三日後しか見られないということであきらめました。

最後の晩餐でもウッフィツィもボルゲーゼも90年代は予約無しで見られたのです。


ボルゲーゼ美術館は並びもしませんでした。

その代わりカノニカ博物園
国立近代美術館を見学しました。





このわんこはこのあと、リスを見つけてダッシュ!

多くの犬が散歩に来ていました。



この犬は走ってきて一目散にこの噴水に飛び込みました。















この建物は最初の建物と同じ、ボルゲーゼ美術館の隣にあります。別荘だったのでしょうか、豪華です。



どれだけ歩いてもイギリスのストウヘッドの湖の景観に影響受けたアスクレーピオスの神殿がわかりませんでした。


イギリスがイタリア、フランスの庭園をお手本とした時代もあるのですが。

歩いている人も少なく聞いてもわかりませんでした。

イギリスの風景式庭園チャーチルのブレナム宮殿、バスコットパーク


追記

ウィーンでは自転車も犬も地下鉄などに乗せていました。

日本は犬猫はキャリーに入れなければなりませんが。

ちょっとでもうなるとご主人がたしなめていました、するとワンちゃんも申し訳なさそうにしているのが印象的でした。

ベルサイユ宮殿の奥のマリーアントワネットの田舎屋の帰りに可愛いトレインあって助かりました。どこも広大でくたくたになりますから。