<span itemprop="headline">愛知用水と名古屋市役所などレトロ建築</span>
名古屋市緑区は伝統工芸の「有松・鳴海絞り」(ありまつなるみしぼり)で有名な有松がある。 鳴海町、大高町、有松町が古くからある主な町。1560年の桶狭間の戦いの舞台のひとつを担う。鳴海は東海道の宿場の一つ(鳴海宿)であった。
合併には抵抗運動が起こり
wikiによると
1963年(昭和38年)4月1日 合併に向けての3度目の動きが高まり、先行して愛知郡鳴海町が名古屋市に編入され、14番目の区として緑区となる2011年(平成23年)3月27日 桜通線の野並-徳重間の開通により緑区に初めて地下鉄の駅が設置される
ひざを痛めた谷本歩実さん、ゴールでは金メダルよりうれしいと涙。お疲れ様でした。
愛知用水のことは学校でも習いました。
でも実際にどこをどう流れているか知りませんでした
昨日連れ合いもひいきの庭園レストラン
(アンティークの家具や丁重なお料理、ステンドグラスやトイレの洗面ボールやお花も豪華、前にもご紹介しましたが今回携帯も忘れたと思い込み写真撮れませんでした。)の土瓶蒸しと朴葉味噌焼きのランチを頂いて、温泉へいく途中に池が見えたので行こうとしました。
ところがあちこち進入禁止でなかなか近づけませんでした。
やっとたどり着きました。この窓は鳥の観察用ですね。鴨や鵜がいました。
愛知用水(あいちようすい)”は愛知県の尾張の一部から知多半島に農業・工業・水道用の水を供給する用水です。
「岐阜県八百津(やおつ)町」から知多半島南端の「愛知県南知多町」に至る112㎞の「幹線水路」と幹線水路から分岐した「支線水路」からなります。
知多半島では、大きな河川がなく、田や畑で使う水を川から取ることができませんでした。水不足は深刻で人々は井戸やため池をつくって渇水に備えていました。
しかし、1947年(昭和22年)は日照りが長く続き、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害が出ました。
水に困った知多半島の人々は、「木曽川から水が引けたら・・・」との夢があり、1947年の大干ばつをきっかけに、この夢を実現させようと立ち上がり、国家事業として”愛知用水”をつくるよう働きかけ、世紀の大事業といわれた”愛知用水”の第一歩を踏み出したのです。
愛知用水もチラッと見えたのですが写真が撮れませんでした。
温泉から帰宅する途中、初めて徳重の町を見、帰る方向になんと山並みが見えました。
標高が高いのですね。
東海高校ステンドグラス
参加された方のお話を伺いたいです。
前にもご紹介した名古屋市役所。三谷さんの映画「笑いの大学」でも出てきたのでうれしかったですね。
昨年の公開、残念ながら気がつくのが遅く入れませんでした。
松重閘門も横浜の友人に紹介したら又イギリスに行ったのかと思ったですって。
そばに桜が植えてあります。今改装中のようです。
追記
勅使池と愛知用水との関係はわかりません。勅使池のいわれも探しましたが不明。
ご存知の方があったら教えてください。
愛知用水の水源は長野県王滝村と木曽町にまたがる牧尾ダム、同県木祖村の味噌川ダム、岐阜県恵那市の阿木川ダムの3つ。当初は牧尾ダムのみであり、他の2つは水需要増加などにより牧尾ダムだけでは対応しきれなくなったため追加で造られたものである。
上記3ダムの木曽川水系に属しており、用水路の取水口は木曽川本流に位置する。岐阜県可児市と八百津町に跨る兼山ダム湖にある兼山取水口である。幹線水路はここから可児市を経て愛知県に入る。 愛知県内では、犬山市、小牧市、春日井市、名古屋市守山区、尾張旭市、瀬戸市、長久手町を経て日進市、みよし市、東郷町にまたがる愛知池(東郷調整池)に注ぐ。
調整池である愛知池から幹線は東郷町を抜けて名古屋市緑区、豊明市に至り、知多半島へ向かう。知多半島では大府市、東海市、阿久比町を経て、知多市の佐布里池(佐布里調整池)へ、そこから常滑市、美浜町を縦断して美浜町の美浜調整池に達する。wikiより