<span itemprop="headline">反原発運動発 1人の主婦が始めたドイツの電力会社</span>
より転載反原発運動発 1人の主婦が始めた ドイツの電力会社
文✍田口理穂ドイツのシェーナウ電力会社は、電力会社に発展したという世界でも珍しい企業だ。
1994年に設立された同社は、再生可能エネルギーのみによってつくられた電力を提供しているドイツの電力会社4社のうちのひとつで、46人の社員を抱え、11万5千人の顧客を持つ。電力の大部分はノルウェーの水力発電から購入しており、2010年は4億5000万キロワット時の電力を販売した。個人客だけでなく、チョコレート会社のリッタースポーツや大手ドラッグストアのDMなど法人も顧客となっている。同社の姿勢は徹底的な原発排除だ。自然エネルギーのみを生産しているとうたっている会社でも、実際には大手電力会社の子会社であるため、原子力発電に金が回されることになる。それを避けるために、決して原子力とつながりのない企業からしか購入しないという徹底ぶり。また、多少高価でも新規に開発された水力や風力、太陽光発電から電力を購入し、新たな再生可能エネルギー源の増大に寄与している。◇チェルノブイリがすべての始まり◇
南ドイツの黒い森に、人口約4500人のシェーナウ市は位置する。1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故で、南ドイツでは公園や食べ物などから多量の放射線が検出された。それがすべての始まりだった。1986年、5人の子を持つ母親であるウーズラ・スラーデクさんは「核のない未来のための親の会」を結成した。同会は、省エネ対策のアドバイスをし、省エネコンテストを開催し、徐々に人々の支持を得ていった。チェルノブイリの子どもを助ける会もつくった。その後スラーデクさんは会社を設立し(何年か不明)、古い水力発電所の再開発や、コジェネレーションや太陽光発電を行う住民の支援などに活動を広げていく。1991年には電力会社KWRとの契約阻止運動を行い、市民投票で56%得票、契約更新は不成立となった。1994年にはスラーデクさんが中心となり、650人の市民が参加して、現在の形であるシェーナウ電力会社を設立した。1995年にはシェーナウ市と電気供給の契約を結ぶことができ、約1700世帯、2500人に電気の供給を始めた。1998年、EUの方針によりドイツは電力自由化の時代を迎える。自由化前は各都市が自前の電力会社を抱え、縄張りの決まった独占市場だったが、国内のどこの電力会社からでも電気を購入できるようになり、シェーナウ社は徐々に顧客を増やしていく。2000年には再生可能エネルギー法が改正となり、太陽、風力、水力、バイオガスなどの自然エネルギーの買い取り価格が20年にわたって保証されることになり、再生可能エネルギーは投資の対象になり始めた。しかしシェーナウはこの制度ができる以前から、独自に再生可能エネルギーの投資を支援し、1999年から100%非原発による電気を供給している。◇「フクシマ」を契機に顧客増える
シェーナウのステッカー
チェルノブイリの事故の影響で、南ドイツでは今でも野生のキノコやイノシシに放射能が検出される。そんななか、シェーナウは単なる電気供給会社であるだけでなく、人々のネットワークを大事にし、地球全体を考える企業として活動している。
私は10年前ほど前、日本の環境団体と一緒にシェーナウを訪問したことがある。印象的だったのは、スラーデクさんが無給で仕事をしていたことだ。「夫のミヒャエル・スラーデクは医者だから私は収入を得る必要はない」という。夫婦ともども熱意と信条を持って活動しているのが伝わってきた。スラーデクさんは「福島でこのような事故が起こらなければよかったのに…。日本は大変なことになったと心を痛めている」と話し、日本も脱原発は不可能ではないと考えている。これまでシェーナウは1994年にドイツエネルギー賞、2003年にヨーロッパソーラー賞などさまざまな賞を受けているが、今年4月、環境のノーベル賞といわれるゴールドマン環境賞がスラーデクさんに与えられた。「持続可能な発展」分野で、欧州での先進的な環境への取り組みが評価されたものだ。サンフランシスコでの授賞式の後、ワシントンではホワイトハウスを訪問。「原発に反対する100の理由」の英語版をオバマ首相に手渡した。 http://p.tl/3l8u
転載元: †Meteora†