<span itemprop="headline">玉三郎 未来へのメッセージ</span>
養父守田 勘彌はこれでいいと思ったらおしまいだ。器用貧乏になったらいけないよ。 と教えられた。
歌舞伎の先輩からは、お芝居を見せてはいけないよ、ただ役になりなさい といつも注意してもらいました。
受賞したのも演劇を導いてくださった多くの先人、先輩がたに支えられたと深く感謝しています。
謙虚な玉様です。
ワイダ監督は「ナターシャ」の男から女へのあの神秘的な変身は玉三郎しか出来ない。長い人生の中で出会あった最高のアーティストだ。感謝しているとコメントしている。
若い人にはコンプレックスを直視、逃げない、受け止めることが大事。研究、高めること。
たとえば背が低くても高く見せようとするのではないと。
玉三郎は小児麻痺にかかり左右の足の長さが違うのでたびの中には詰め物がしてあるそうです。
今では武器となった長身も出始めたころは、女形としては15~20センチも背が高いことがハンデ、手が大き過ぎる、敷居からはみでるといわれた。
小さいぽっちゃりした女形をよしとする観念を変えてもらうしかない、と考えた。
95年ウィーンでオペラ観た後に玉三郎の鷺娘観てこれはオペラに負けないそれ以上かもと思ったのは間違いではなかったのです。
玉三郎の鷺娘は歌舞伎ではないと切り捨てていた評論家もいましたが。
勘三郎は歌舞伎役者が演じれば、歌舞伎だといっていました。
他人に認めていただくためには努力、研究。
相手役より大きく見せないようにするために足を折るだけでは駄目、知事待ってるのをわからないようにしなければと養父。
女形の化粧 自分でない自分を見ている。かわっていく自分、書いたものになっていく。
役柄になりきるとき
たとえば道成寺で音楽が非常にうまく奏でられていて、踊りの中でぐっと気持ちが入ったときに恨める、恨みがクローズアップされて
それを探る作業が稽古
不可能を可能にするために
努力する大切さのいみは話せません。努力するしかないんです。
努力しなければ絶対成功はしません。たまたま一回ヒットする事があっても続きません」
「努力といっても並大抵の努力ではダメなんです。一番考えなきゃならないのは命と健康と引き換えになるかは、自分の身体と話合って下さい。
命を落とさない、病気にならない所まで努力しなければならない。
最大限しなければ絶対成功はしないし、続きません」
努力の方法は教えることはできません
玉三郎に仰天質問された女性がいました。
洗濯や掃除がしたくないという質問
玉三郎の返答はそれではまったく行に反する生き方です。というものでした。
お寺で炊事する人は一回も読経しなくても読経する人と同じ位がもらえる
意味がわかっていない。突き詰めて問題の芯のところへ視点が行かないと解決しない、解脱できない。
勘太郎の禅の映画で炊事掃除は修行だと教えられました。
若い人に
傷つくことを怖がらない恐れない。傷も負って免疫つけていろんな人に会いなさい、人間同士でコミニュケーション取って生きていく。
純粋なものをできるかぎり食べて 本当に好きなものが見えてくる
本当に勉強になります。