<span itemprop="headline">京都国立博物館と蓮華王院三十三間堂</span>
1895年竣工 片山東熊設計。工事終了は2013年秋の予定
この近くに女子大がありプリンセスラインと銘うった赤いバスが何台も通っていきました。誰でも乗れる市バスです。
友人がホテルに来てくれるまで時間がありましたので。
初めて三十三間堂拝観したのは小学校の修学旅行だったでしょうか、先生に自分の顔に似た仏様があると教えられましたが、今考えると空恐ろしいことです。
何体かの仏像が修復に出されているので奥の仏様がよく見える箇所がありました。
妙法院(みょうほういん)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号を南叡山と称する。本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝える。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られる。近世には方広寺(大仏)や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、三十三間堂は近代以降も引き続き妙法院所管の仏堂となっている。Wikiより
お隣の病院には平安時代の庭園が残ると聞いていますが今回も見学することは出来ませんでした。残念
国立博物館隣には豊国神社、方広寺、耳塚があります。
京都市東山区、豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵( 文禄・慶長の役1592年~1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・ 明国人の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬った塚。
Wikiより
京都市東山区、豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵( 文禄・慶長の役1592年~1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・ 明国人の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬った塚。
Wikiより
陶工や文化人も強制連行しました。
以前、方広寺に行ったとき、韓国の団体が来ていて恥ずかしい気持ちになりました。
家康は朝鮮通信使を招き、回復に努めましたが秀吉は憎まれているでしょう。
当時朝鮮から日本へ連れ去られた女性が日本人男性と結婚させられ、そこへ通信使の元夫が尋ねてくるという、わらび座のミュージカルを観ました。