<span itemprop="headline">当然ですね、玉三郎丈が人間国宝に!</span>
坂東玉三郎さんらを人間国宝に認定へ
玉三郎さん“充実した舞台に励みたい”
京都市内で記者会見した坂東玉三郎さんは「自分にはまだ、ふさわしいものではないと思いますが、後輩のために引き受けてほしいということでしたので引き受けました。後輩の指導と将来の歌舞伎の発展のために、微力ながら力になれればと思います」と話しました。
そして、今後の抱負について、玉三郎さんは「女形として今まで教えていただいたものを、私なりに精いっぱい真心を込めて務めなければならないと思います。人間国宝に恥じないように、なお充実した作品や舞台づくりに励みたいと思います」と述べました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120720/t10013735401000.html
そして、今後の抱負について、玉三郎さんは「女形として今まで教えていただいたものを、私なりに精いっぱい真心を込めて務めなければならないと思います。人間国宝に恥じないように、なお充実した作品や舞台づくりに励みたいと思います」と述べました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120720/t10013735401000.html
昨年京都賞受賞されました。
京都賞は、科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々の 功績を讃える国際賞
ワイダ監督は「ナターシャ」の男から女へのあの神秘的な変身は玉三郎しか出来ない。長い人生の中で出会あった最高のアーティストだ。感謝していると}コメントしている。
若い人にはコンプレックスを直視、逃げない、受け止めることが大事。研究、高めること。
たとえば背が低くても高く見せようとするのではないと。
玉三郎は小児麻痺にかかり左右の足の長さが違うのでたびの中には詰め物がしてあるそうです。
今では武器となった長身も出始めたころは、女形としては15~20センチも背が高いことがハンデ、手が大き過ぎる、敷居からはみでるといわれた。
小さいぽっちゃりした女形をよしとする観念を変えてもらうしかない、と考えた。
95年ウィーンでオペラ観た後に玉三郎の鷺娘観てこれはオペラに負けないそれ以上かもと思ったのは間違いではなかったのです。
追記
玉三郎は若くしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で鷺娘を踊りました。しかも世界の名だたるバレエ・ダンサーたちが得意のパ・ドゥ・ドゥを披露した時に・そのトリを玉三郎の「鷺娘」が勤めたのです。http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin102.htm
その時の扮装のままの玉三郎を笑顔のヌエレフやマーゴ・フォーンティーンが取り囲んでいる写真が当時の雑誌「太陽」に載っています。
アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションをしてきました。海外の芸術家が先にその才能を絶賛しました。
その頃は歌舞伎にでたくても阻止されていた話も聞きます。
その頃は歌舞伎にでたくても阻止されていた話も聞きます。