riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">滋賀県の佐川美術館</span>

 
 

やっと5月26日に訪れた佐川美術館のご紹介です。
 
雑誌和楽で玉三郎丈が紹介していたので一度は行きたかった佐川美術館です。
琵琶湖のほとり、4月に京都の帰りに寄ったらなんと展示かえでお休みでがっくりしました。
反対側からは趣味のよくない建物群も見えてしまいます。
 
この時は京都のヴォーリズ建築駒井家 府立植物園のバラ
京都の新島八重同志社大学圧巻の赤レンガ建築群!
 
佐川美術館では日本を代表する芸術家である日本画家の平山郁夫氏と彫刻家の佐藤 忠良氏の作品を中心に展示し、さまざまな文化事業を通じて芸術・文化の振興と発展に 少しでも貢献できればと願っております。「継ぎなる道、出会い。」をもとめて、 ...
佐川美術館
〒524-0102 滋賀県守山市水保町北川2891
Phone:077-585-7800 Fax:077-585-7810
開館時間:9時30分〜17時 (最終入館は16時30分迄)
休館日:毎週月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)・年末年始
※展示替え等のため臨時休館する場合があります。

 
独創的な茶碗の数々、ただハイヒールで歩かれるとすごく響いて(>_<)
茶室は予約制で入れませんでした(;_;)
佐藤忠良に詳しいNHKアナの講演会も終わったあとでした。
 

 
これほど多くの佐藤作品を一度に見たのは初めてです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
娘の佐藤オリエをモデルにした作品、群馬の人、ブローチ、絵本大きなかぶ、
澤地久枝さんの追悼文が印象的でした。
 

この絵本はご存知の方も多いでしょうね。
 
原画はもっと素晴らしいです、猫の尻尾もまじまじと観てきました。
 
 
 
 
 
 
 
佐藤は明治45年1912年宮城県で生まれました。幼い頃父が亡くなり

母は親戚を頼って移り住んだ北海道の炭坑町で針仕事をしながら家族

を支えました。最初画家を目指していたのですが20歳でロダン

作品集に感銘を受け彫刻家を目指します。苦学の末、22歳で東京美

術学校に入学しました。卒業後彫刻家の道を歩み始めますが、昭和19

年32歳で召集されソビエト国境近い中国東北部に送り込まれました。

1年後敗戦し、捕虜としてシベリアイルクーツクの収容所に抑留され

ました。氷点下30度で強制労働があり枕木一本捕虜一人が死ぬという

過酷な場所で3年間過ごしたそうです。シベリアから帰還したのが

昭和23年でした。ただ生きるだけで精一杯だった中でも優しさを持っ

た人々がいて強さややさしさはどこから来るのか考える日々だったそうです。

帰還から4年後の昭和27年、専門学校の美術講師などで生計を立てて

いた彼に福島県常磐炭礦を採掘する会社から仕事の依頼がありました。

増産計画を無事故で達成した褒賞金10万円で記念の彫刻を作りたい

という依頼に対し、炭坑で働く父親を見守る母と子の姿を高さ2メー

トルあまりのセメントの像で作りました。この作品は彼と地元の職人が

共同で作ったのだそうです。報奨金だけではブロンズなどの材料費が

足りなかったのでした。そのため彼はセメントを使い地元の人に手伝

ってもらえないかと提案したのでした。大工が骨組みを作り、左官屋が

セメントを塗って、彼はそれを削ったのでした。誰とでも垣根なく付き

合った彼の宿舎には毎晩職人たちが差し入れを手に訪れたそうです
 
晩年の彼は精魂を傾けた作品が仙台市宮城県立こども病院にあります。

それは入り口にあるレリーフ"おおきなかぶ"です。縦80センチ、

横1メートル70センチの作品です。90歳で制作しました。子供達は

自由に作品に触れることが出来ます。彼が描いた絵本をレリーフにしたの

ですがお爺さん、お婆さん、孫、犬、猫、鼠が大きな株を一緒に協力して

引き抜くという気持ちを忘れて欲しくないとこの絵本を描いたのだそうです。

続きはこちら
 

 
シベリア抑留(過酷な強制労働、日本政府は了承済み!)
 
セメントを使い地元の人に手伝ってもらった作品はほかの方にはないことですね。


 
この日は名神が工事中で第二名神を通りました。