<span itemprop="headline">勘三郎丈訃報と平櫛田中展</span>
三重県美術館の平櫛田中展に行ってきました。
デジカメ忘れ携帯ボケボケ撮影です。
ちょっと遠いのでいつもは連れ合いが連れて行ってくれていましたが先日の土曜日は道が混んでいるようでしたし、近場の名都美術館に行ってきました。
おしゃれなレストランではその頃はやりだしたのか、
その美術展にちなんだ料理が出ていました。
その美術展にちなんだ料理が出ていました。
ランチの画像もたまっているのですがなかなかUPできません。
今回は美術展とは関係のない料理でした。
レストランは平日でも混んでいました。このレストランで私は初めてジュイ布を知りその後、パリ郊外のジュイ美術館まで行きました。
マリーアントワネットや藤田嗣治も好んで使用した風景や人物像の柄です。
この美術館でこの布をテーブルクロスとして利用しているのです。
私もカーテンや食器、バックにこの布を使っています。
ファッション雑誌のモデルさんの後ろの壁紙がトワルドジュイだlったりします。
演劇界を久し振りに買ったのですがそのわけは12月号特集が「雷蔵・橋蔵・錦之介」だったからです。
その記事のことは玉さま模様のみよきち様の記事に詳しい
橋蔵さんが生前、裸でごまかしきかないように稽古してもらったといっていましたが
その師匠の六代目自身も裸で稽古をしていたとわかりました。
金箔の六代目の鏡獅子試作頭もちょっと今闘病中の勘三郎に似ていて迫力があります。六代目は立派なお顔でした。私は残念ながら舞台観た記憶はありません。
母に連れられて幼い時に御園座に行っていたのですが。
岡倉天心像や鳥有先生、達磨のような精神的な像もありますが幼児が手を出している生き生きとした像、日英の少女が寄り添ったほほえましい像、羊を抱いている像、聖徳太子、釈迦、政治家、横綱像など彩色や装飾もさまざま。
平櫛が認めた橋本平八の「猫」も観ることが出来てよかったです。
平櫛の名言
「いまやらねばいつできるわしがやらねばたれがやる」
平櫛は100歳にして、この先30年分もの木材をまとめ買いしていた。
平櫛「60、70は鼻たれ小僧 男盛りは100歳からよ。」
以下はWIKIより
明治末期から大正初期にかけて、東京藝大の基礎となる東京美術学校を創立した岡倉天心に師事した。東京藝大構内の六角堂に田中作になる「岡倉天心像」が安置されており、天心を敬愛していた田中は藝大勤務時代には登校のたびに、この自作の像に最敬礼していた。 1958年(昭和33)畢生の大作「鏡獅子」を戦中のブランクを経て、20年をかけて完成する。モデルの6代目尾上菊五郎はすでに故人となっていた。 1962年(昭和37年)、文化勲章受章。 1965年(昭和40年)、東京藝大名誉教授となる。 1972年(昭和47年)、出身地の井原市が主催し平櫛田中賞を設ける。100歳を超え長命であったが、死の直前まで創作を続けた。没後、彼のアトリエには30年以上続けて製作できるだけの彫刻用の材木があった。この材木を利用して、井原市の田中美術館に上野桜木町のアトリエが再現された。1979年(昭和54年)、東京都小平市の自宅で逝去。享年107。広辞苑に載っている実在の人物の中では最も長命な人物である。
写実的な作風で、高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び、日本近代を代表する彫刻家の一人である。代表作は国立劇場にある「鏡獅子」や、「烏有先生(うゆうせんせい)」「転生」「五浦釣人(いづらちょうじん)」など。また、教訓めいた名言も多く残している。出身地の井原市に井原市立田中美術館、また、晩年を過ごした小平市には小平市平櫛田中彫刻美術館があり、作品を公開している。またJR福山駅南口にあり待ち合わせなどに使われる「五浦釣人像」は田中の作品のレプリカである。
写実的な作風で、高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び、日本近代を代表する彫刻家の一人である。代表作は国立劇場にある「鏡獅子」や、「烏有先生(うゆうせんせい)」「転生」「五浦釣人(いづらちょうじん)」など。また、教訓めいた名言も多く残している。出身地の井原市に井原市立田中美術館、また、晩年を過ごした小平市には小平市平櫛田中彫刻美術館があり、作品を公開している。またJR福山駅南口にあり待ち合わせなどに使われる「五浦釣人像」は田中の作品のレプリカである。
ランチはまた。
追記
闘病中だった勘三郎丈が今日お亡くなりになりました。重病とは聞いていましたがあまりのお若さに涙です。
橋蔵さんは55歳で肝臓がんでしたがもう30年近い前のことです。
昭和4年(1929年)4月9日 - 昭和59年( 1984年)12月7日)
ご本人が一番無念だったでしょう。残念でたまりません。
お若いときの可愛い女形から愛嬌のある芝居大好きでした。
私は勘三郎さんより長時間の手術してもらいましたがまだ生きている不思議。
勘三郎丈は働きすぎです、艶聞のほうもお忙しかったかも知れませんが、歌舞伎界はろくな休養もない、稽古期間も短い。
玉三郎丈も最近あんまり長いお休みなく心配です。