riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">勘三郎丈本葬に涙</span>


 
上記は演劇にもお詳しいぴかちゅうさんからお借りしました。
泣けますね。私はお昼のテレビで坂東三津五郎丈 大竹しのぶさん 野田秀樹さんの真に迫った弔辞を聞きました。
アエラを読んだのですが勘三郎丈は胆汁が十二指腸から胃に逆流したのを吐いた時に誤嚥、肺に胆汁が入り肺が熱くなったとか。お苦しかったでしょう。 私も昨年15時間ぐらいの手術受け翌日には10本ぐらいのチューブつけたまま歩行始めたので他人事とは思えません。
仁左衛門丈がおしゃったように辛い興行、闘病から解放されたのでしょうか。歌舞伎界演劇界にとり大損失で穴は埋めようがありませんね。
 
大竹しのぶ弔辞
 哲明さん。あなたがいなくなってから、3週間と少しが経ちました。私たちはまだその事実を受け入れることができず、ただただ、途方に暮れた日々を過ごしています。

 (遺骨の方を向き)そんな小さな白い箱を蹴破って、「冗談じゃないよ!まったく」。そんなことを言いながら、あの世界一チャーミングな笑顔で、私たちの前に現れてくれる。その方がずっとずっと現実味があるのです。

 暑い暑い7月の終わり。私は手術後、2日目のあなたを訪ねました。私に見せるためと、痛み止めを打ち、「効いた?効いた?」とせっかちなあなたらしく、看護師さんを困らせながらICUの廊下を歩いてくれました。たくさんの管をつけ、点滴を引きずりながら。ゆっくり、ゆっくり、けれど確かな足取りで歩くあなたに、まるで花道を歩いているあなたに向けるように、大きく熱い拍手を送りましたね。

 ほめられることが大好きなあなたは、嬉しそうに、ちょっと恥ずかしそうに笑い「大竹しのぶに拍手もらっちゃったよ」と、もちろん、支えてくれた看護師さんへの感謝も忘れませんでした。

 それから4ヶ月。本当につらい、苦しい、闘病生活が始まりました。あんなにたくさんの人を幸せにして、あんなにたくさんの人に愛されてきたあなたが、なぜ、こんな目に遭わなければならないのか、どうしても理解できない、苦しい4ヶ月でした。

 それでもあなたは、まじめに、一生懸命病気と闘ってくれました。数値的にも、状況的にも絶望だと言われたときも、あなたは何度も何度も奇跡を起こし、私達に光を与えてくれました。大きな厚い壁が突然下ろされても、あなたは諦めることなく、強い肉体と精神力で自らその壁を押し上げ、次の光へ導いてくれていました。

 私達だけでなく、先生方も一緒でした。「こんなすごい人はいません。僕達が教えられます。だから、この人のために何とかしたいと思うのです。本当になんとかしたいと思うのです」と、涙を浮かべておっしゃったことがありました。

 病室でのあなたは、あいかわらず皆に愛されていました。思うように体が動かせなくても、表情と手首だけで見得を切り、看護師さんから拍手をもらっていました。意識が少しクリアでないときも、芝居の話をすると大きく目を開き、私達の話を聞いてくれました。そして、話したいことがたくさんあると。

 肺があまりうまく動かないとき、『哲さん、芝居のときのように大きく息を吸ってやってみて』というと、大きくゆっくり深呼吸ができましたね。

 これは先生の言葉です。「やんごとなき心臓を持ち、やんごとなき精神力を持ち、恐るべし中村勘三郎」。でも、それはあなたが生きていたいと思ったからですよね。生きて行かなければならない人だからですよね。後略
 
画像は世界遺産スイスのベルンのばら園
勘三郎のNY公演の録画を見ながら。今放送中です。
サービス精神いっぱいです。