<span itemprop="headline">生と死についてわたしが思うこと</span>
姜尚中著「生と死についてわたしが思うこと」読んでいます。
入院中、大竹しのぶの迫真のピアフを、チュウブ一本つけたままに観に行ったのですが、その時は名古屋が大千秋楽で満場の観客が熱狂、先日、大竹さんが徹子の部屋でその話をしてくれました。
カーテンコールで一人の女性が前に出てきてアンコールを求めて歌ったこと。
涙なくては聞けない絶唱でした。この勇気ある女性にも感謝です。
今年この舞台の再演があるのですが名古屋にはきません。
最近、劇場もいくつか取り壊されて更に名古屋とばしが多くて(泣)
徹子の部屋で稽古中の大竹さんの歌を流し最後に本物のピアフの歌う姿を出しました。
大竹さんも困っていました、先日も徹子さんは女性歌手のしゃべり方をしっこく直してましたがご自分も…なのに。
観劇の日「中村正義展」も観賞したのですが、その反骨の映画が公開されます。
美術界に巣食う古い権威や権力に反逆の狼煙をを掲げて疾風のように時代を駆け抜けた一人の天才画家がいました。時は60–70年代、既成の文化や体制を破壊し、新しい価値観を打ちたてようとしたカウンターカルチャー沸騰の時代、日本画の天才と将来を嘱望されながらも、その古い伝統の呪縛を解き放ち、時にはポップアートをも髣髴とさせる斬新な技法で美術界に衝撃を与えた作家、中村正義、その人です。
中村正義は23才で日展に初入選するや、数々の作品で入選、受賞を果たして瞬く間に日展の中心作家となりました。36歳の時には最年少で日展の審査員に選ばれるという栄光に浴しました。早世の天才日本画家・速水御舟の再来とまで言われ、日展での地位を揺るぎないものとしてゆく正義の活躍は誰の目にも前途洋々と映ったことでしょう。しかし、こともあろうか正義はその地位をあっさりと捨て去ってしまいます。古き価値観に連綿としがみついている日展の体質に我慢ならなかったのです。
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姜さんの本の話に戻ります。
息子さんの死で「家族を襲った不幸は筆舌に尽くしがたく、今でも鉛を飲み込んだような苦しみと悲しみは癒されていない」
息子は自らの破滅と世界の破滅を望み、自らに降りかかった煉獄中の苦しみが終わることを願ったのである。
なぜ生まれてきたのか?どうして生きなければならないのか?
世界は不平等と不正に満ち、正直者が馬鹿をみ…
世界の悲惨が自分たちの外にあるとは思ってほしくない。
世界の悲惨は自分たちの中にあるんだ。
まだ途中読みですが
脱原発、日本の選択ドイツで出会った人々が異口同音に、日本のことを案じていました…一転してフランスに電気を輸出しているドイツ
未来に禍根を残す「収束宣言」
1939年代に似てきた世相
いじめをなくすために
吉永小百合さんの平和への思い
もう正面突破以外に「解」はない
イサム・ノグチの映画レオニー作ったいぶし銀のような女性松井久子
右が監督の松井さん
昨日、愛知県美術館のクリムト展黄金の騎士をめぐる物語鑑賞しました。
官能的なテーマを描くクリムトは非難や攻撃受けましたが日本美術とも近いその作品は今では大変人気があります。
初めての海外一人旅の地ウィーンの白亜の建物の上に「黄金のキャベツ」と呼ばれるドーム型が 据えられた美術館訪問したことを思い出します。
エゴン・シーレの死のにおいする絵も観たくなります。
姜さんも言うように問題がある時代の芸術に偉大な作品が生まれます。