<span itemprop="headline">玉三郎パリ公演ル・モンド紙など</span>
時に神に祝福されたような夜がある。略
満席の劇場は振動していた。…
北斎は「私が百有十歳に達した時には、一つの点、真っ白な紙の上にたった一つの点を描くだろう。そしてこの一点がいきたものになるだろう」
この「生きた一点」を私たちは玉三郎の中に観ることができるだろう」
玉三郎の波立つような手の動きの中で美の頂点に達する。
北斎の言葉を引き合いに出す、さすが文化のフランスですね。
以前どなたかが演劇界?は玉三郎を粗末に扱いし過ぎるといわれていましたがその通りでした。
。私の好きなオペラやミュージカルの世界でした。いやそれ以上に優美な夢の世界でした。南座初演初日と楽を観たのが幸せでした。
再びル・モンド誌
単に女装した男優ではない。女性の感性にぴったり寄り添って、あいまいさの究極にそった理想の女性を体現する。玉三郎が天才の域にまで達するのはそこだ。
私たちを困惑させるような、彼が表現するこの曖昧さは、ほかの何物にもたとえられない感動を引き起こす。自分自身の中に潜んでいた永遠への眼差しを発見するような感動。そしてこの永遠への眼差しによって観客はまるで一瞬一瞬、ある一つの風景に立っているような印象を抱く。
東洋が持つ欲望を昇華させて、あらゆる人間の心の奥深く、肉体の奥深くに宿っている欲望の世界にまで観客を誘う玉三郎の芸によってそれを完全に超越している。
この鳴神は歌舞伎初心者にはお勧め演目です。
絶世の美女が色仕掛けで上人を落とします、それまでは清廉な上人がなんと姫の胸の中に手を入れるのです、その場面はだれでも笑えます!