riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">旧花田家番屋・松浦武四郎・風車群</span>

北海道の旅、2日目はひたすらバスに乗り北上しました。留萌を通り小平町へ。
まずはニシンで栄えた旧花田家番屋でランチと見学です。
 

 
日本最北端の国指定重要文化財。平成13年には北海道遺産にも認定されています。明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模を有し、当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。「道の駅」を併設し、年間を通じて公開されています。また、国道232号線をはさんで海側にはにしん文化歴史公園があり、北海道の名付け親、松浦武四郎翁の像が建っています。
 
 


 
 

 
 
東京の旧岩崎邸でも見た金唐革紙!ニシンで繁栄したから。
金唐革紙(きんからかわし、Japanese leather paper)もしくは金唐紙(きんからかみ)は 日本の伝統工芸品である。和紙に金属箔(金箔・銀箔・錫箔等)をはり、版木に当てて 凹凸文様を打ち出し、彩色をほどこし、全てを手作りで製作する高級壁紙である。
 

 

 
 

 
 

 
 
番屋と道を隔てた海岸沿いにある松浦武四郎
 
松浦は(1870年)に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。
本草学を学び一時は僧、浮世絵師!
 
アイヌ民族の生命と文化を守るために力を尽くした!
 
勾玉など玉製品が数多く通された首飾りを下げるなど,古物の収集にも熱心であった。
 
 
 
 
 
松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日1818年3月12日) -明治21年(1888年2月10日は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家浮世絵師。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。
 
国道232号線をはさんで海側には にしん文化歴史公園があり、北海道の名付け親、松浦武四郎翁の像が建っています。
 
ここには三船殉難事件の碑も立っています。
 
第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件。

レストランも木造で立派です。
 

 
珍しいニシンは美味しかったのですが三平汁は辛すぎて閉口しました。とても完食出来ませんでした。
 
 
 
 

 
トナカイ牧場のやぎさん
 
今回出会った野生動物はバスの前を横切った鹿、
高速道路に顔出してくれたキタキツネ
 
フラワーランドかみふらのうさぎ
 
 
 

観光客から餌をもらおうと寄ってきます。
 
冬毛殻の変わり目です。角はフカフカ
 
 

 
お隣にはブル―ポピー園、勿論咲いていません。
私は長野の中村農園で見学しましたが大阪花博記念公園では年中みられるそうです。
次回は楽しみにしていたサロベツ原生花園です。
 
そこからも利尻富士も見ることが出来ました。