riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">言うべきことを口にしないマイナスもまた重い▼なぜ外した「加害と反省」⇒「アジアへの加害責任」「不戦の誓い」外し▼国民は奇異に思ふ</span>

 
2013/08/16付 西日本新聞朝刊より 引用します

歴史と外交 なぜ外した「加害と反省」

終戦記念日の15日、安倍晋三首相は戦争と歴史の問題に絡んで、
「外向け」と「内向き」の二つの顔を見せた。
 
 安倍首相は同日、靖国神社に参拝しなかった。
 
もともと首相は靖国参拝に意欲的で、
第1次政権時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語るほどだ。
 
このため終戦記念日の動向が注目されていたが、
自らは参拝を見送り、代理人を通じて玉串料を奉納するにとどめた。
 
 
 首相が参拝しなかったのは、
かねて政府要人の靖国参拝に強く反発している中国や韓国との関係が、修復不可能なまでに悪化するのを避けるためだろう。
 
 両国とは首脳会談開催のめども立たない状況だが、
水面下では関係改善の糸口を探っている時期だけに、
あえて相手を刺激する行為は控えたとみられる。
 
日中・日韓関係の改善を求める米国の
意向を重視した側面もあるようだ。
 
 首相が個人的な信条よりも、
外交上の利益を優先して行動したことは、
大局的な判断であり、評価できる。
 
参拝見送りは、中韓両国への配慮という
「外向け」のメッセージといえるだろう。
 
 
 しかし、
同じ日に開催された政府主催の全国戦没者追悼式では、
安倍首相は式辞に自らの政治信条を強くにじませた。
 
「アジアへの加害責任」に
触れる文言を盛り込まなかったのだ。
 
 1994年の村山富市首相以降、
歴代首相は終戦記念日の式辞で、
先の戦争におけるアジアへの加害責任と反省を表明してきた。
 
 
安倍首相自身も2007年の式辞で
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに犠牲になった人々に哀悼の意を表する」
と述べている。
 
 
 首相が
「アジアへの加害責任」を外したのは、
植民地支配や侵略を認めた村山談話
見直しを示唆したのと同じく、
 
持論の
戦後レジーム(体制)からの脱却」
を目指す政治姿勢の表れとみられる。
 
 
 明治以降の歴史において、
日本の行為の正当性を強く主張する一部保守層との連帯を
意識しており、「内向き」の論理を前面に出したとも読み取れる。
 
 
 首相は「責任はない」と言ったわけではないが、
これまで踏襲してきた文言をあえて外せば、
中韓のみならず他のアジア諸国や米国までも
「歴史の修正を図っている」と警戒させる可能性が高い。
 
 
 終戦記念日の首相式辞は、
日本が平和国家として歩む姿勢を
内外に発信する重要なメッセージとなってきた。
 
今回の式辞の変更は、
歴代内閣が引き継いできた
アジアとの和解の精神を転換した
と受け止められる恐れがあり、看過できない
 
 首相は今回の式辞で、
これまでの首相が踏襲してきた
「不戦の誓い」
という表現も外している。
 
 
これもどういう意図があるのか、理解に苦しむ。
 
 
 他者の批判を意識しない歴史認識
得てして独善的になりがちだ。
 
首相は自身の歴史観に対する
国際社会からの厳しい視線をきちんと認識する必要がある。
(引用終)
 
 

 
 
こちらは中国新聞 より引用します↓
'13/8/16

8・15首相式辞 加害・不戦なぜ触れぬ

首相の言葉は重い。
しかし、言うべきことを口にしないマイナスもまた重い。
 
 終戦の日のきのう、全国戦没者追悼式で安倍晋三首相は
歴代の首相が式辞に盛り込んできたアジア諸国への
加害責任や不戦の誓いに触れなかった。
 
 在任中の靖国神社参拝に格別の思いを持ちながら、
首相がきのう差し控えたのは
近隣諸国の神経を逆なでしない配慮だったはずである。
 
中韓との関係修復が優先課題に
なっている今、穏当な判断だったといえよう。
 
 とすれば、式辞を「内向き」に戻した姿勢とは食い違う。
ふに落ちない国民も多かろう。真意を説明すべきである。
 
 「この機会に、改めてアジア近隣諸国をはじめ全世界すべての戦争犠牲者とその遺族に対し、国境を越えて謹んで哀悼の意を表する」
追悼式でアジア諸国の犠牲に初めて言い及んだのは、
1993年の細川護煕首相だった。
 
 追悼式の対象はもともと、軍人や軍属約230万人と
空襲や広島、長崎への原爆投下、沖縄戦などで犠牲になった
民間人約80万人である。
 
 その一方で、戦前の日本の植民地支配や侵略の結果、
アジア諸国における死者は2千万人以上に及んでいる。
 
 78年にA級戦犯靖国神社に合祀(ごうし)されて以来、
首相の参拝は中国や韓国の反発を買うようになった。
戦後処理に片を付ける覚悟の証しが93年の式辞であり、
95年に
過去の植民地支配や侵略を
正面から認めた村山富市首相の談話だった。
 
 実際、中韓の反応はいったん沈静化する。
 
例年の首相式辞は戦後50年かけ、
やっとたどり着いた和解への一つの到達点だった。
 
 
平和主義の道を歩む日本政府の立ち位置を
保証する役割も果たしてきたのである。
 
 
 当の安倍首相も第1次政権時の2007年の式辞では
アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」
「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表する」
などと触れている。
 
 領土問題などのかつてない摩擦で
日本外交の行方が注視されている今、
なぜ要らざる疑念を招く式辞を読んだのだろう。
 
違和感が拭えない。
 
 韓国などが早速反応し、
連立与党を組む公明党からも
疑問視する声が出ている。
 
 首相はことし、国会答弁で
「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と発言。
 
村山談話」を「そのまま継承しているわけではない」とも明言し、
後で官房長官が「安倍内閣も認識は同じ」と弁解に追われた。
 
 
 戦後70年を迎える15年には、
新たな首相談話で独自カラーを打ち出す構えだという。
今回の式辞は布石とも受け取れる。
 
 とりわけ今回、
不戦の決意を明言しなかったことには国民も何か、
不気味さを覚えたのではないか。
 
 
痛くない腹を探られるような物言いは、
為政者の取るべきものとは思えない。
 
 このところ、領土をめぐる摩擦にしても
集団的自衛権の解釈変更への動きにしても、
代々積み重ねてきた歴史を
突き崩すかのような政治の動きが目立つ。
 
 安倍首相は長期安定政権をめざしているとされる。
軌道修正を図るのなら、なおさら
歴史の積み重ねを重んじ、民意にも沿ったかじ取りを求めたい。


転載元: 模型飛機