riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">激烈「ゆきゆきて、神軍」</span>

 
朝日土曜版に昔映画館で観たこの映画が大きく載りました。
好きなマイケル・ムーア監督が「僕が今までに観た最高のドキュメンタリー」と明言している映画です。
 

おお、素敵な天井と玉座
 
広島港~フェリーで江田島へ。海上自衛隊第一術科学校の大講堂内部。
 
戦後、占領軍は教会に用い、玉座にはマリア像がおかれた。
 
下、広島拘置所。映画の主人公奥崎は元陸軍上官の息子に発砲し、殺人未遂などの容疑でここに収監された。
 
「俺を殺して食いたいって言う人もいるけんども、またかばうひともいるわけだ。それで、生きたんだよ」
 
奥崎が暴力で山田元軍曹から引き出した言葉。
 
「根から木のてっぺんまで」まで食べ、胃腸薬、熱さましまで腹に入れた。
 
「動くものは何でも食べた」「黒豚、白豚」
 
奥崎は原監督まで困らせた。
 
映画のロケ地となった江田島だけれど覚えている人はいなかった。
 
「神軍上等兵」を名乗り激烈な主張、破天荒な闘いをした奥崎謙三
 
ニユーギニアでは疲労と熱病、絶対的な飢餓に苦しみながら密林をさまよう戦争。
 
日本軍の戦争は兵士に食料もろくな兵器も持たせず、いたずらに人命を残酷に消費週るものでした。
 
5000キロ離れた南の島の「戦えない戦争」の果てに道端野死体となった兵隊たち
 
奥崎さんはこの映画でこの魂を集めるよりしろとなる。朝日2013.8.31
 
己れをたった一人の“神軍平等兵”と名乗る奥崎謙三が、終戦後偽日もたってから二人の兵士を“敵前逃亡”の罪で処刑した元上官たちを訪ね、真相を究明する姿を追ったドキュメンタリー。監督は「極私的エロス・恋歌1974」の原一男が担当。
 
1982年、兵庫県神戸市。妻・シズミと二人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦の生き残りであり、69年に、死んだ戦友の怨念をこめて“ヤマザキ天皇を撃て!”と叫んで天皇にパチンコ玉4個を発射した男である。奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの旅に連れていくことを約束した。奥崎の所属部隊・独立工兵第36連隊で、終戦後23日もたってから“敵前逃亡”の罪で二人の兵士が射殺された事件があったことを知った奥崎は行動を開始した。その二人の兵士、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに、処刑した五人の上官を訪ね、当時の状況を聞き出す。だが、それぞれ、処刑に立ちあったことは白状したものの、ある者は空砲だったと言い、ある者は二人をはずして引き金を引いたと言う。いったい誰が彼らを“撃った”のかは不明のままだった。さらに彼らは飢餓状況の中で人肉を食したことをも証言するのだった。やがて、二人の遺族は奥崎の、時には暴力も辞さない態度からか、同行を辞退した。奥崎はやむを得ず、妻と知人に遺族の役を演じてもらい、処刑の責任者である古清水元中隊長と対決すべく家を訪ね真相を質す--。一方、奥崎は独工兵第36部隊の生き残り、山田吉太郎元軍曹に悲惨な体験をありのままに証言するように迫る。そして--1983年12月15日、奥崎は古清水宅を訪ね、たまたま居合わせた息子に銃を発射、2日後に逮捕された。3年後の86年9月18日に妻・シズミが死亡。87年1月28日、奥崎は殺人未遂などで徴役12年の実刑判決を受けた。