<span itemprop="headline">田中正造氏のことば「少しでも人の命に害があるものを、少しぐらいは良いと言うなよ」「俺がやってきた行動を見よ!」</span>
記者の目:田中正造没後100年=足立旬子(科学環境部)
毎日新聞 2013年09月12日 東京朝刊
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
「デンキ開けて世間暗夜(あんや)となれり」
足尾銅山では、明治政府の富国強兵政策の下、外貨獲得の柱として銅の大増産が古河財閥によって進められた。山の木々は燃料用に伐採されたうえ、製錬時に出る有毒ガスのため枯れて、大雨のたび、鉱毒を含んだ土砂が下流の渡良瀬川沿岸に流れ出た。
稲は立ち枯れ、魚は死滅、人々は健康被害に苦しんだ。
盛り上がる世論を鎮めるため、国は鉱毒を沈殿させる名目で最下流域の旧谷中村(栃木県)に遊水地建設を計画した。正造は谷中村に移り住み、最期まで住民とともに反対運動を展開したが、村は強制的に破壊され、遠くは北海道へ移住を余儀なくされた。
鉱毒の被害地では、田畑の土の上と下を入れ替える「天地返し」や、汚染された表土を削り取って積み上げる「毒塚」が作られた。
命を育む大地が汚染され、何の罪もない人々が故郷を追われた。
弱い立場の人たちにしわ寄せがくる構図は原発事故も同じだ。
◇「自然を征服」は人間のおごり
正造が批判したのは、
何でもカネに換算する価値観だ。
科学技術の力で自然を征服できると考えるのは人間のおごりだと主張した。
また「少しでも人の命に害があるものを、少しぐらいは良いと言うなよ」と、人命の尊重が何にも勝ると訴えた。
軍備を全廃し、浮いた費用で世界中に若者を派遣し、外交による平和を構築することも唱えた。
正造の思想に詳しい小松裕熊本大教授(日本近代史)は「ガンジーよりも早く、非暴力、不服従を実践した」と評価する。
正造の警句は生かされず、約50年後、今度は水俣病が発生した。
2020年五輪は東京で開催されることが決まった。だが、福島第1原発の汚染水漏れについて「状況はコントロールされている」と説明した安倍晋三首相に、福島の漁業者や避難生活を送る人々から厳しい目が向けられていることも忘れてはならない。
◇国民にも向かう厳しいまなざし
私財を運動に投じた正造の全財産は、信玄袋に入った大日本帝国憲法と聖書、日記帳、石ころなどわずかだった。死の間際に「見舞客が大勢来ているようだが、うれしくも何ともない。正造に同情してくれるか知らないが、正造の事業に同情して来ている者は一人もない」と言い残したという。また・・
「俺の書いたものを見るな。
俺がやってきた行為を見よ!」とも言っていた。
憲法に基づき、国家が国民の生命と生活をきちんと守るよう、政治も含め社会の仕組みを変えようとした」と話す。
厳しいまなざしは、国民にも向けられた。採石のため山容が変わるほど削られた霊山「岩船山」(栃木県)を引き合いに「今の政治に今の国民を見る」と嘆いた。
今月4日の正造の命日に、出身地の栃木県佐野市で法要が営まれた。始まってすぐに雨が激しくなり、雷が何度も鳴り響いた。
100年たって日本は経済大国になったが、山や川が荒らされ、人の命が軽んじられている。
政治家は、国民は、何をやっているのかと、正造が咤(しった)しているように感じた。一人一人が何ができるかを考え、行動を起こせ−−。雷鳴が胸に刺さった。
読むと、心が熱くなります。
「一人一人出来ることをする」、「行動する」ことが大事・・・。
(田中正造を尊敬する小出先生も同じことを仰っていました。)
田中正造氏の言葉をかみしめて、一緒にがんばりましょう。
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私にも貴方にもできること・・
こちらへのご協力もよろしくお願いします
「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見募集について
案件番号 060130903
所管府省・部局名等(問合せ先)内閣官房内閣情報調査室
電話:03-5253-2111(代表)
案の公示日 2013年09月03日
意見・情報受付開始日 2013年09月03日
意見・情報受付締切日 2013年09月17日
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意見・情報受付締切日 2013年09月17日
転載元: mimiの日々是好日