riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">玉三郎・七之助二人藤娘汐汲み</span>

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今日、上の一月舞踊公演の先行申し込みでした。
玉三郎丈がお六を!ご自分でも姫役は苦手でお六は好きと。
 
久しぶりに千秋楽ゲット、ましてや新作。
どんな二人藤娘かな。友人と一緒に観劇します、すごく楽しみです。
無事に
行けますように。
京都のアマテラス、ましてや東京歌舞伎座はチケ撮り大変なのですが(私は歌舞伎座会員最下層です、そんなに観られないから)大阪は歌舞伎ファンがそれほどでなくて、3階席最前列ですが、衝立のようなものがあり視界を遮ります
もっと前で観たいのですが自粛します。
 
二人道成寺シネマ歌舞伎ではイリュージョンのようで、素晴らしかったので期待が膨らみます。
今月初めて生で玉様のおかるを鑑賞します。歌舞伎座さよなら公演にも行けなかったので。
 
以下は歌舞伎美人(かぶきびと)より
『ザ・カブキ』上演されるのですね。
後藤晴雄の由良之助観た事があるのですが今年はロミジュリを踊られたのですね。観たかったです。
 
仮名手本忠臣蔵』に出演する坂東玉三郎が、その『忠臣蔵』を題材にしたバレエ『ザ・カブキ』が上演されるにあたり、由良之助を踊るダンサー、柄本弾と対談を行いました。

右より坂東玉三郎、柄本弾(撮影:岡本隆史)
 バレエ『ザ・カブキ』は、世界的振付家モーリス・ベジャールによる作品。この対談は、ベジャールと30年以上も交流のあった玉三郎に、12月14日(土)の討入りの日に由良之助を踊る、東京バレエ団の柄本が話を聞く形となりました。
柄本 ベジャールさんが歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をバレエ作品にした『ザ・カブキ』をつくると最初にお知りになったときは、どう思われましたか。
玉三郎 その話をうかがったのはもう30年ほど前になりますが、ベジャールさんだったらつくれるだろう、と思いました。というのは、別に歌舞伎作品をつくるのではなく、東京バレエ団のための作品を手がけるわけですから。ただ、その後、三島由紀夫先生をモチーフにした『M』などもつくったベジャールさんですが、日本での長編第一作として、緊張はしていらしたみたいです。
 そのときはちょうど私も歌舞伎座で『忠臣蔵』をやっていて、ベジャールさんも観に来てくださったのですが、"苦しい"とおっしゃるんです。"自分は自分の創作をしたいのに、本場の舞台を見てしまうと、そこから離れたくとも離れられない"と。でも、それまでにも『我々のファウスト』とか、いろんな題材のものをつくってきた方ですし、『忠臣蔵』をつくるというよりも、ご自分が考えている日本の古典の世界になっているのだろうなと思っていました。ところで柄本君はいつ『ザ・カブキ』に出られたのですか?
柄本 2010年4月、コール・ド・バレエ(群舞)の一人として出ていましたから、昨年、まさか自分がパリ・オペラ座で由良之助を踊らせてもらえるなんて、思ってもいませんでした。クラシック・バレエは基本、女性が中心ですが、この作品は男性がメインで、踊っていても、ほかの作品にはない高揚感というか達成感がある。もちろん、その分、プレッシャーも大きいのですが。
玉三郎 私は初演(1986年)の舞台も観せていただき、一作年、花柳壽輔さんの会でも一部だけ拝見したのですが、表面的な言葉になってしまうけれど、やはり美しいですね。『忠臣蔵』であるかどうかということよりも、四十七士の仇討ちの男性群像というものが美しくでき上がっていて、本当に、そこがベジャールさんの世界だな、と改めて感じました。
 そして、ちゃんとおかるもいれば、由良之助もいて、歌舞伎の『忠臣蔵』の名場面も、ベジャールさんなりの解釈で表現されている。ですから、歌舞伎を知っている方も、ああこのシーンは雪の別れかと楽しめるんです。元々『忠臣蔵』はメインの話よりも、その周りの話のほうが面白いのですが、四十七士の討ち入りの場面の圧倒的な美しさは、本篇の歌舞伎よりもうまく表現されているのでは、と思ったほどです(笑)。
柄本 歌舞伎とバレエ、分野は違いますが、表現者として大切にするべきことは何だと思われますか?
玉三郎 毎日同じことをする、同じレパートリーをやっていく中で、どうしたら毎日新鮮にその役に向かえるか、が一番大事でしょうね。高みを目指す、といった言葉もあるけれど、毎日新鮮にさえ向かっていれば、自然に高みに向かえるだろうし、深みにも向かえるのだと思います。私はそう考えています。
柄本 貴重なお話、ありがとうございました。
 
 
わせしておりますと、先輩、同輩の俳優さん達の空白がございまして、そこに名前のない方が実に多くおられました。去年の暮れに中村屋さんが亡くなり、今年の初めには成田屋さんもお亡くなりになられました。実は中村屋さんが亡くなられた去年から、かなり心細い思いが致しまして、今年の初めからは落ち込む思いが激しかったのです。我を忘れて仕事が出来ましたのは、今年の2月のパリ公演の忙しさの最中と、4月、5月の歌舞伎座再開場ということで賑やかに過せた時期だけだったのです。実はその頃「忠臣蔵」の詳しい配役の相談があったのでございますが、その時は2カ月間の「忠臣蔵」を開けられないのではないのではないかと心配しておりました。
 
そうでしょう、そうでしょう、中村屋さん、成田屋さんがお亡くなりになられましたから。
 
 6月が過ぎまして夏がやってまいりますと、自分の心にひたひたと寂しさが襲って来てしまいました。そして6月末から、7月、8月、9月とかなり落ち込みの日々が続き、心身の不安が募るばかりで、将来のことなど全く考えられない状態でした。やっと11月の金丸座の時から外の空気を吸うことが出来て、だんだんと回復して来たのです。皆様にここで、こんな心許ないことを申しましてもどうしようもないことなのですが、回復して来ました今でこそ打ち明けられる事柄ですし、実際の思いをこのコメントで述べさせて頂きたかったのです。私は出演していませんでしたが7月以降の歌舞伎座公演も大入り満員が続いたようです。私の受け持った公演では自分の悲しい気持ちと反比例して、7月のACTシアター、9月博多座、10月南座と連日大入りで、特に赤坂と福岡では毎日立ち見のお客様が出るという業績でございました。春からに危惧しておりました12月歌舞伎座忠臣蔵」公演がいよいよ初日を迎えましたが、この公演も売り出しとともに即日完売となり、これも私の気持ちとは逆さまな事柄となってしまいました。沢山のチケットを買って下さった有りがたさを忘れこんな思いが募っていたのでございます。私としましては『今はただ、自分の出来うる限り一生懸命舞台を勤めるしかない』という思いなのでございます。この「忠臣蔵」は先輩の高麗屋さんとご一緒させていただいておりますが、それ以外には染五郎さん、海老蔵さん、菊之助さんと、それぞれが大活躍致しておりまして、『次の世代の歌舞伎が始まるんだな~』という思いがするのでございます。この「忠臣蔵」が終わりますと、今年はもう終わりとなってしまいます。そして年が明けましてもこの後輩達に対して、私達の世代が応援して行くことが、これからの歌舞伎に何よりも大切なことだと強く思う今日この頃でございます。
 さて来年はどんな年になりますことでしょうか。とにかく頂いたものを精一杯やることが私の勤めだと考えております。とにかくこの12月公演は皆様にお楽しみいただける「忠臣蔵」が上演出来ればという思い出でいっぱいでございます。
 月並みな言葉ではございますが、悪い風邪も流行っているということでございます。私達も舞台に穴をあけることがないよう身体を大切にして参ります。
 劇場で皆様とお目にかかれることを楽しみに致しております。皆様お身体大事にこの年の瀬をお過し下さいませ。