riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">中車(香川照之)の話、歌舞伎美人(かぶきびと)より</span>

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ドラマ半沢も出ていた中車(香川照之)が歌舞伎に出ていないと勝手に心配になる私、3月の御園座の襲名公演も観ましたが今は京都の顔見世にご出演。以下は歌舞伎美人(かぶきびと)より
 
歌舞伎ファンのブログで絶賛されていた息子さんの團子の
踊り
 
 
團子さんはいかがでしょう。10月の国立劇場公演では『春興鏡獅子』の胡蝶を松本金太郎さんとお二人でなさいました。
 
「彼の踊りを見て、うまくできたときよりも、失敗したときに強さを感じます。胡蝶で、彼が上手(かみて)で、金太郎君が下手(しもて)で体をそらせる振りがありました。僕も感じていたのですが、彼は金太郎君より体がそっていなかった。そこをどなたかにご指摘されたようで、次の日に挑戦して限界がわからずに、支えきれなくて後ろに転んだ」
 「でも、その後、まったくケロリとして最後まで踊り切ったことに、僕は感心しました。お弟子さんたちも、子どもはそういうところでがっくりして、後の踊りがめちゃめちゃになりがちだと言っていましたが、彼は平気でしたね。強い子だなと思いました」


 そんなとき、中車さんは父親としてはどんな言葉をかけられたのですか。
 「その日に、“武士は身体に一つだけ傷があるのが、優秀なんだ”という話をしました。何かの本で読んだのですが、まったく無傷の武士は負けを知らないから怖い物なしで、いつか斬られる。でも優れた武士は、傷がついても、それを学習して次から危険を避ける動きができる。“お前の今日は傷が一つついた瞬間だ。後は傷をつけないで最高の武士になりなさい”と言いました。その後、彼はぶれずにやっていました」
 
 「その日に、“武士は身体に一つだけ傷があるのが、優秀なんだ”という話をしました。何かの本で読んだのですが、まったく無傷の武士は負けを知らないから怖い物なしで、いつか斬られる。でも優れた武士は、傷がついても、それを学習して次から危険を避ける動きができる。“お前の今日は傷が一つついた瞬間だ。後は傷をつけないで最高の武士になりなさい”と言いました。その後、彼はぶれずにやっていました」

 とても舞台がお好きでいらっしゃるようですね。
 「今でも踊りたくてしようがないようです。公演中も、よく食べて朝から晩まで走り回って踊って、帰ってからも走り回っていました。どれだけ体力あるんだというぐらい。舞台に出られてよかったと思います。11月からお稽古事を増やし、これまでの踊りと仕舞に加えて鼓、三味線も始めました」
 「僕も三味線は一緒に稽古をしているのですが、彼は子どもですから、1回行っただけでスポンジが水を吸い上げるように覚える。置いていかれそうです。それを見ただけで、團子を歌舞伎の世界に入れたのは正解だったと思いたいです。僕が歌舞伎をやることは、間違っているかもしれないし、多くの人からも間違っていると言われます。でも、彼を入れたことは間違いではなかったのではないかということが、僕には誇りです」


 襲名公演で、演じられたお役についての思い出などをお聞かせください。
 「『将軍江戸を去る』(平成24年7月新橋演舞場)は、市川團十郎さんに、お稽古を見ていただいたことへの感謝の気持ちしかないです。山岡鉄太郎という男が一人で、徳川慶喜の御座所に、首を刎ねられてもおかしくないことを言いに行く。毎回、命を賭けていないといけない。成田屋さん(團十郎)相手に、その役をやらせていただいたことは僕の宝です」

 『楼門五三桐』は3回、ご出演されています。
 「五右衛門(平成25年1月大阪松竹座、同6月博多座)は、申し訳ないですけれど、お金をいただきながら勉強させていただきました。まったくできないということがわかるまでに時間がかかり、できないことがわかってから、どうしたらいいかがわかるまでにまた時間がかかった。抜け道がないまま、ずっとやって本当に苦しい演目でした。こんな立場で山門の上に座らせていただき、汗顔の至りでした。太刀打ちできない歌舞伎の難しさを痛感しました」
 「『五三桐』を久吉を含めて、今年3回やらせていただいたことの成果が『御浜御殿』で出ればと考えております。同じ眞山青果物でも『江戸を去る』とは違ったせりふ回しをしなければならない。歌舞伎特有の決まった音をどれだけパワフルに出せるかです」
 
 「歌舞伎では肉体がエンジンだということがわかりました。エンジンが搭載されていないとサーキットは走れない。僕はミニクーパーでF1のレース場を走っていたようなものだと思います。エンジンがないのだからしようがない」
 「歌舞伎俳優の皆さんは、小さい頃から義太夫をお稽古されたりして、発声、間、呼吸、そして序破急を学ばれる。僕はまだ身についておりませんが、歌舞伎の初舞台から1年半を過ごして来たなかで、僕なりに少しは排気量が上がっていなければならず、その意味では今度の『御浜御殿』は勝負だと思っています」


 これまでに数多くの作品に出られている映像のお仕事とは、どんな違いを感じられましたでしょうか。
 「例えるなら、映像は国語の文章を言葉で解き、国語の問題として国語の先生に見せ、国語の点数が帰ってくる。歌舞伎は数式を国語で解き、採点する先生がまた数学に戻る、そんな感じでしょうか。数式が間違っていたら駄目です。数式は習わないとできない。皆さんは数Ⅲレベルで微分積分をやっている。僕はまだ鶴亀算です。いや、鶴亀算にもなっていないかもしれない。大幹部さん、父、四代目(猿之助)が微分積分だとこうなる、というのを僕の小学生以下のレベルまで下りて教えてくださることに感謝したいです」
 
 
「できないながらも、物語の完成度に助けられました。わずか10ページほどの森鷗外さんの原作を宇野信夫先生が、これほど完成された作品へと広げられた。鼻に手をやる伊織の癖、るんが伊織に渡したお守りなど、伏線がすべて三幕で生きてくる。わかりやすく緻密です」
 「初演の際、父(猿翁)からは“第一幕と二幕は甘く気障に”と言われました。それが澤瀉屋の伊織であると。それだけで想像が広がりました。いろいろな方が伊織を演じられてきましたが、澤瀉屋の伊織は“静”。つまり“静中動あり”です。それが“気障に甘く”という言葉に集約されていると思います」

 ほかにも猿翁さんからのお言葉をお聞かせください。
 「三幕の年を取ってからの伊織は、“テンポを出し、わかりやすく派手にやれ”と父に言われました。父はいつも、“お客様が拍手を待っているところでは、拍手をさせねばならない”と言います。三幕にはコミカルなところもあります。それをテンポとボリュームで調節します。そういう父に言われたテンポ、ボリューム、大げささも含め、御園座公演では毎回おもしろくやらせていただきました」


「昨年、父と母(女優の浜木綿子)が、45、6年ぶりに再会しました。僕はその瞬間を目にしましたが、意外に普通でした。るんと伊織も一緒に暮らしたのは、短い期間でしょう。心情の違いはありますが、父と母も一緒に暮らした期間は短かった。ドラマとして、るんと伊織は、再会の場面で“あなた”“るん”と感動をあらわにしますが、現実を見た僕としては、そこから先の部分を参考にしたいと思っています」

 中車さんご自身の人生での体験が、芝居に活かされているわけですね。
 「また、伊織とるんは別離した翌年に子どもを亡くしているでしょう。それは将来、歌舞伎での自分の跡取りとなったかもしれない僕と別れた父の心情でもあったはずです。伊織とるんの子どもは、生きていたら第三幕のときには、37歳になっている。“男盛りだな”という伊織のせりふは、“もし、この子が歌舞伎をやっていたら”と思ったであろう、父のつもりになって言おうと思いました」
 「もちろん僕は後々、46歳で歌舞伎の世界に入ることになるわけですが、父にとっては、それまでは死んだ子も同然だったはずです。僕もテレビの世界にいましたから、父の目に触れなかったわけはないでしょう。父のつもりで言う伊織のせりふはたくさんありますし、第三幕は二重、三重に僕の実体験と重なります」

引用終わり
 
当然歌舞伎には苦しんでいらしゃいますが、
お腹の中から歌舞伎界にいる方でない人が、研修生よりも年上の中山が歌舞伎に挑戦、そう言う方があってもよいのではないでしょうか。
私は彼の 『ぢいさんばあさん』の伊織や明智光秀を竹槍で殺したという、岡本 綺堂の戯曲「小栗栖長兵衛」好きです。