riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">鳥と睡蓮・菖蒲・ハンショウゲの勧修寺</span>

 
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 今回最初に訪れたのは
京都山科の勧修寺 正式には 
かじゅうじ
900年醍醐天皇の創建
「勧修寺氷池園」
平安時代には毎年一月二日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の護国豊穣を占ったと言う。京都でも指折りの古池。

 
勧修寺は9世紀末から10世紀初めにかけて、宇治大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の邸を寺としたのが始まりとされています。ここが寺とされたのは、宮道の孫胤子(インシ)が宇多天皇の女御、醍醐天皇の生母となったことに由来します。醍醐天皇は昌泰3年(900年)、胤子の遺志により伽藍を創建し、勧修寺としたと伝えられます。
 
この地が宮道邸だった時期には、すでに池のある庭が作られていたようです。時代は下りますが、鎌倉時代にはその様子が歌に詠まれるなど、かつての優美さをしのばせていたようです。
 
時を経て、応仁・文明の乱(1467~77年)で勧修寺は焼失・荒廃しました。さらに、豊臣秀吉が境内中央に伏見桃山城につながる伏見道を設けたため、境内は南北に分断されました。また、最終的には、寸断された南側の地は勧修寺の境内からはずされてしまいました。荒廃していたとはいえ、古来の名刹を分断する道をわざわざ付けたことについては、勧修寺と秀吉の間に何らかの不和があったとする説が有力ですが、はっきりしたことはわかっていません。→続きはこちら
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
右上 水戸光圀寄進の「勧修寺型灯篭」
灯篭を覆うように生えているハイビヤクシン↓
ヒノキ科の常緑潅木 樹齢750年の名木
 

 

 
 
 

 
 

 
 宸殿を抜けるとぱっと開けて池に~

 白い睡蓮も咲いていました。
 とても気持ちのよい池です。水辺が好きなので感激しました。
睡蓮の苗お持ちくださいとありましたが、もうありませんでした。

 

 お堂も仏様も新しいもの
 

 
池の中の島の木に青鷺の巣があってちょうど親が餌を運んできました!
雛はもう大きくて2羽が餌をとりあうのかギャアギャア
 

 
夕方になると琵琶湖から沢山の鳥がかえってくるそうです。
 
池の周囲を回りました。危険と大きく書いてありますが通行できますし、危険と言うほどでもないのです。
そうしたら目撃しました!ラッキー
 

 

 

 
このハンゲショウの苗はお寺の入り口にありました。頂けます。
貰わなかったけど。
 

 
 

 

 
春の桜、秋の紅葉もよさそうです。