riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">スプリットの世界遺産ディオクレティアヌス宮殿</span>

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ボスニアからクロアチアに戻りスプリットへ。バスで3時間半。
 
ホテルは市内が取れなくなり郊外の海岸のホテルに。
旅行会社から返金があります
団体は街中の雰囲気のあるホテルには泊まれませんね。
 

 
夕食はイカのグリル
 これはほとんど完食できました。

 
モダンな部屋。私と添乗員さんだけ新館でした。
後で添乗員さんの部屋の電話が壊れていることがわかり私の部屋の電話と交換しに来たそうですがどんどんドアを叩かれても眠いやら、怖いやらで出られませんでした。
 
旧館は広いジャクジーもあったそうです。
私はシャワーだけでしたが、旧館の方はすぐお湯が出なくなりブーイングの嵐。日本人が来るとお湯がなくなる話は有名ですね。
ここで現実になりました。夜中に入ってお湯が出た方も。
 

 
水ぎわ、透き通っていました。水着持参すべきでした。
ホテルの庭ではズッキーニなどがなっていました。
 

 
隣のホテル
 

 
大聖堂
 
観光客が一杯の世界遺産ディオクレティアヌス宮殿クロアチア語 : Dioklecijanova palača)は、クロアチアの都市スプリトに残っている宮殿で、3世紀末から4世紀初頭にかけてディオクレティアヌス帝によって建てられたものである。
 ディオクレティアヌス帝は属州イリリクムの生まれ。「ディオクレティアヌス」というのは皇帝になる際につけた名で、本来はディオクレス(Diocles)という。一兵卒から親衛隊長官にまで出世し、先帝ヌメリアヌスの死後、軍に推戴されて小アジア西北のニコメディアで即位し皇帝となった。

 
遺跡の中で暮らしている人たちも多い。
ローマ帝国が滅亡し、7世紀に異民族が入り込んできたため近郊の人たちが頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきた事が始まり。
アドリア海沿岸最大の港町スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街となったという珍しい起源を持つ街。
 

 
ここの現地ガイドさんはクロアチア人を父に、日本人を母に持つ男性、東京にも住んでいたことがありて日本語ペラペラ、妹さんもガイドデビュー近い。
 

 
アカペラも劇も…皇帝の私邸の玄関の役割をはたしていた前庭。
かつてはモザイクで装飾されたドームで覆われていたそうですが今では天井に穴が開いています。
 

 
 

 

 

 
広場にはアールヌーヴォ風の建物もあります。
 

 

 

 
 

 
洗礼室メシュトゥロヴィッチ作ヨハネの像
 

 
カフェの天井
 

 

 
 

修復中で左足シカミラレナカッタグリグール・ニンスキ像
左足の親指に触れると幸運が~♪
 

 ヨットも一杯。どうもドゥブロヴニクとスプリットを混同したらしく画像間違えてすいません。
 
 
 

 
最後は垂直の様な登り、狭くてすれ違うのも困難。大聖堂
 

 

 

 
 

 

 
 

 

 
蚤の市日本でも外国でももう手が出ません。
 

9975歩