riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">観納め?天守物物語</span>

 

 
先日もちょっとお話しましたが無謀にもクロアチアなど4ヵ国の旅から帰ったばかりなのに歌舞伎座に日帰り昼夜観劇(歌舞伎って現代でも何幕も上演して辛い、全部見ないで帰ることもありましたが今回は全部観ました)昨日はお客様で又疲れました。
 
間には入院中の友人をお見舞い。
でもねえ、玉三郎のお辰と富姫は見逃せないのです。
 
富姫は初めて中日劇場で観劇、当時滑り症で歩けなくなり入院し退院したばかりでした。
 
それからやっと泉鏡花の原作を読みました。難しそうで読む気しなかったのですが玉三郎の心酔する鏡花先生の作品ですから。
 
玉三郎の解説でその純真な心、階級制度に対する反発、浄化される様もわかってきたのです。
漫画も読みました。
 
64歳というのに何と言う美しさでしょう、芸術に身を捧げて…
内面から純でないと出せない美しさでしょうね。
 
鏡花先生も泣いて喜んでいらしゃるでしょう。
存命中は舞台化を望まれても果たせなかったのですから。
「この戯曲を上演してもらえたら、こちらが費用を負担してもよい」という主旨の発言をされたとか。
 
坂東玉三郎が東京・歌舞伎座「七月大歌舞伎」で、昼の部の通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のお辰(たつ)を、夜の部は泉鏡花作「天守物語」の富姫(とみひめ)を演じる。お辰は25年ぶり、富姫は先代歌舞伎座のさよなら公演で演じて以来5年ぶりだ。「富姫は出ずっぱりで年齢的に大変なお役。前回やり納めのつもりで演じましたが、見たいという方が多く再演を決めた」と語る玉三郎。相手役の市川海老蔵歌舞伎座初出演の市川中車ら沢瀉(おもだか)屋一門など中堅若手中心の一座。「上置きという言葉は嫌ですが、演出家的な役割も果たします」 (藤英樹)
 一九六四年に五代目玉三郎を襲名して今年でちょうど五十年になる。文豪・三島由紀夫に抜擢(ばってき)され、二十代から数々の大役を演じてきた玉三郎。舞台での美貌は変わらないが、六十四歳。最近は若手を抜擢して共演する機会も増えている。
 「いつまでも私たちが舞台にいられるわけじゃない。口幅ったくは言いたくないですが、次の世代に期待したい。中車君にも注目しています。若い人たちのそばにいてひと言声をかけてあげる演出家的な役割が大切と強く感じています」
 泉鏡花玉三郎にとって特別な作家だ。独壇場といってもいいほど手掛けてきた。今回で十二回目となる「天守~」もその一つ。八年前から自ら演出も担う。「作家を尊敬しなければ芝居はできません。尊敬するからには書いた方の気持ちをできる限りそのままに演じたい」
 富姫は姫路城天守閣の最上階に棲(す)む美貌の妖怪。高貴にして伝法(無頼)な面も見せ、大きな存在感を漂わせる。人間たちに攻められ富姫の世界は荒らされるが、最後は救われる。
 「聖なるものが勝利にゆきつく、魂の希望が見える作品です。性根や解釈など今回とくに変えるところもありませんが、鏡花先生の理想像に近づけるように真心を込めて」と玉三郎
 一方の「夏祭~」は上方を舞台に義兄弟の男伊達(おとこだて)二人が侠気(おとこぎ)を見せる義太夫狂言。東京で通しで演じられるのは十七年ぶりだ。玉三郎演じるお辰は、自ら美しい顔を傷つけて心意気を見せる件(くだり)が一番の見せ場。
 「印象的なお役ですが、出番が少ないのでどうお客さまに分かっていただくかが難しい。顔を傷つける件は『そなたの顔に色気があるえ』と言われて覚悟を見せるわけですが、短い場面なのでいかに説得力を持たせるか。伝法な女は上方も江戸もそんなに変わりませんが、上方の言葉には柔らかみがある。関東の人間としては経験を積む中で、こうかなと思って演じています。義理と情、浮世絵的な美しさを見てほしい」
 ほかの演目は昼が長唄舞踊「正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)」、夜は狂言舞踊「悪太郎(あくたろう)」、新歌舞伎の「修禅寺物語」。出演はほかに片岡我當(がとう)、市川左團次、上村(かみむら)吉弥、市川右近市川笑三郎(えみさぶろう)、中村亀鶴(きかく)、尾上右近ら。七月五~二十九日。二万~四千円。チケットホン松竹=(電)0570・000・489。

◆あらすじ

 <夏祭浪花鑑> 男伊達の団七九郎兵衛(だんしちくろべえ)と妻のお梶(かじ)は恩人の息子・玉島磯之丞と恋人の琴浦を助ける。団七と義兄弟の一寸(いっすん)徳兵衛の妻お辰は磯之丞を預かろうとするが、仲間の侠客(きょうかく)・釣船三婦(つりふねさぶ)が美貌のお辰と磯之丞の不義を懸念すると、お辰は焼けた鉄弓を自ら顔に当て傷をつけ心意気を見せる。団七は琴浦を連れ去ろうとした舅(しゅうと)の義平次を殺し、追われる身となる。
 <天守物語> 姫路城天守閣の最上階に棲む主の富姫は美貌の妖怪。藩主の鷹(たか)を捜しにやって来た鷹匠と恋に落ちる。富姫の世界は家来たちに荒らされるが、最後は救われる。
 
 
七月歌舞伎座は、玉三郎海老蔵、左団次、中車の一座で昼が「正札付」に
「夏祭」の通し。夜が「悪太郎」、「修禅寺物語」、「天守物語」である。な
かでは「天守物語」が当然のことながらもっともすぐれている。
 「天守物語」は、平成十八年七月歌舞伎座の舞台が、玉三郎初めての演出で
あり、海老蔵の図書助とともに緊張感あふれる名舞台であり、私が今まで見て
来たこの作品としては最高の舞台でもあった。その理由はその時の劇評に書いた
 
幼少時から日本舞踊や三味線などの習練を積み重ねる歌舞伎役者の世界。四十代後半で飛び込んだ中車の苦労は並大抵ではない。
 「実態を知っていれば怖くて飛び込めなかったでしょう。映像や現代劇の世界は正解のない世界ですが、歌舞伎は正解がある世界。なぜ不正解なのか分からず、血のにじむような苦闘を続けて少しずつ正解が分かってきた二年でした」
 もちろん苦闘は今も続く。現代劇の香川は気持ちをめいっぱい表に出す演技が持ち味だが、歌舞伎ではそれはご法度。「気持ちを入れると(セリフの)音がずれたり、型が崩れてしまう。僕が培ってきた経験は全く生かせていません。新歌舞伎も、いかに歌舞伎として成立させるかという点で僕には古典と同じです」
 苦しむ中車に、今回一座を指導する坂東玉三郎は「夏祭~」の義平次の演技について「歌舞伎を忘れて、自由に」とアドバイスしたという。見せ場は、海老蔵演じる団七九郎兵衛が、中車演じる舅(しゅうと)の義平次を殺す「泥場(どろば)」。凄惨(せいさん)だが歌舞伎では様式化され、団七と義平次が見得(みえ)を繰り返す。
 「玉三郎の兄さんは、当然決まり事を踏まえた上での自由という意味で言われたと思います。ただ、稽古をしてみて、義太夫などの決まり事を踏まえた上で、なおかつ僕の気持ちを自由に入れても成立するような気がしています。こんな感じはこれまで初めて」
 
中車が玉三郎の導きととてつもない努力で今回の立派な芝居を見ることが出来、とても嬉しかったです。
 
夏祭の義平次、ああいう心も姿も汚らしいお役はお得意でしょう。
 
 
中国映画「鬼が来た」や南京の映画に出た勇気あってこそ、歌舞伎界でこの様に早く立派になられて。
 
天守物語でも右近と出てあの場面が重厚になりました。
 
海老蔵も夏祭の舅殺しとは大違い純真な青年がまぶしいほど美しい。
 

 
冷たいお抹茶と行列が出来る鯛焼き、(中にピンクと白の餅?が入ってます)一階で焼いてる人形焼きも美味しいのですがきっと私のお腹にはよくないです。
 
 
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