riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">開戦前夜 命 をかけた名演説 斎藤隆夫の挑戦</span>

 前の記事の戦死やあわれ竹内浩三に続きNHK/BSプレミアム英雄たちの選択「開戦前夜!政治家 斎藤隆夫の 挑戦~命をかけた名演説~」 を皆様にもご覧頂きたかった。
 

 
ネズミの殿さまと言われた国民思いの政治家斎藤隆夫
私は斎藤隆夫劇団四季のミュージカル「李香蘭」の初演で知りましたがこんなに国民のことを考えた人を今の人は知らない。
 
これも文部省の検閲の教科書が良くないですね。
 
戦前の国定教科書のようです。
 
昔、母親の教科書やテストを観て驚愕、
 
「日本良い国、強い国、世界に輝く偉い国」ですから。
 
もう神話から始まり暗記ばかり、縄文式土器や弥生式土器など出てきません。
 
戦後しばらくはまともな教科書だったのに。
 
武器を捨てても怖くないと平和主義を教えていたのに。
 
 
 
あの舞台は本当に昭和史の勉強になります。
 
斎藤 隆夫(さいとう たかお、1870年9月13日(明治3年8月18日) - 1949年(昭和24年) 10月7日)は日本の弁護士、政治家である。姓は「齋藤」とも記述する。 戦前期に、弁舌 により帝国議会で軍部やファシズムに抵抗した。
 
在の兵庫県豊岡市出石町中村に斎藤八郎右衛門の次男として生まれる。8歳になり福住小学校に入学したが12歳の頃、「なんとしても勉強したい」という一念から京都の学校で学ぶことになった。ところが彼の期待していた学校生活とは異なり、1年も経たず家へ帰ってきた。その後、農作業を手伝った。
21歳の冬に、東京まで徒歩で移動!
 
のちに反軍演説する方は違いますね!
 
 
1935年(昭和10年)1月22日、「岡田内閣施政方針演説に対する質問演説」で「陸軍パンフレット[2]と軍事費偏重を批判。 1936年(昭和11年)5月7日(第69特別帝国議会)、「粛軍演説」(「粛軍に関する質問演説」)を行った。 国家総動員法制定前の1938年(昭和13年)2月24日(第73帝国議会)、「国家総動員法案に関する質問演説」を行った。 1940年(昭和15年)2月2日(第75帝国議会)、「反軍演説」(「支那事変処理中心とした質問演説」)を行った。
反軍演説が軍部、及び軍部との連携・親軍部志向に傾斜していた議会内の諸党派勢力(政友会革新派中島派)、社会大衆党時局同志会など)より反発を招き、3月7日に議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員除名された。しかし1942年(昭和17年)総選挙では軍部などからの選挙妨害をはねのけ、翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし衆議院議員に返り咲く。
 
今のこの時期にこういう人がいたことを知り、選挙に生かしてほしいです。
 
選挙妨害もはねのけてトップ再当選を果たす
 
上のサイトがお詳しいです。
 
背広を裏返して仕立て直し!  青年たちに絶大な人気。
でも国会議員たちは彼を除名
 
暗殺の危険もあったでしょう。
ヘイトスピーチや日本だけが偉いようなことを言う人たちがいますがとても心配です。
 
司会の磯田道史が500円均一のがらくた市でで見つけた斎藤の書、
江戸時代の勉強だけではだめだと悟ったわけです。
 
追記
国民思い、家族思いの斎藤、郷里の芝居小屋の演説会は立錐も余地もない観衆が詰めかけた。
 
国にために死ぬ、愛国などという人は政治家や国民を暗殺したり戦争あおり国が滅ぶもとです。磯田さんも同様のことを言っています。
 
 

  昭和13年、国家総動員法が成立し、法を通さなくても国が政策を決められるようになってしまい議会は空洞化する。そういった全体主義的な統制で国を発展させられるという考えが大勢をしめるようになってしまった。
   その結果、軍事費が予算の三分の二となり国民の生活も苦しくなってきた。

   日中戦争中、兵士を始め人々の戦争への疑問の声が多く斎藤へ届けられた。斎藤は、そういった人々の声に応えねば、と国会での演説を決意した。

   もちろん、斎藤は、それまでも、出版物などで、国の方向を批判する事は続けていたのだが、大勢は変わらなかった。

   そして、とうとう昭和15年の2月7日の帝国議会において、日中戦争の現状を批判、また聖戦とか、東洋平和、と言って口先で誤魔化しているがそんなものはだめだ、と軍部を正面から批判した。
 

 
番組では、「むのたけじ」が当時、新聞記者でその演説を直接、聞いていて、胸の詰まる思いだった、と語っていた。
   当時の国民にとって、非国民と言われる事は戦争に反対という事で、軍部ににらまれる事であり、非常に恐れていたのだが、その中で、命がけで言っているのだなあ、と感じたという事だ。
   また、この頃斎藤の家へは右翼などが押し掛けたりもしていて、もちろん暗殺の恐れなどいくらでもあったようだ。
 



   そういえば、最近「非国民」などという言葉をマスコミの人間すら攻撃に使うという状況が出てきている事は、笑いごとではない状況な気がする。

   しかし、そういった状況でも、国民からは800通の支持の手紙が来たのだという。しかし、国会議員達は、彼を除名してしまう。これは軍が裏で手を回したのだという。
 
   出演者の一人が、現在でも、この斎藤隆夫の演説を「~事件」という学者がいるが、これは、正常な議会での当然の演説であり、この斎藤の方が正常な民主主義の行動であり、それを事件というのは全くおかしい、という意味の事を言っていたが、本当にそうだ。

   除名された後も、人気があり当選するが、大政翼賛議会では彼の居場所は無かった。