riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">懐かしい勇気ある女性~中日新聞より</span>

 
中日新聞で懐かしい勇気ある女性に会えるとは!

 
さすが皐月さん、高校二年生の時、村の不正選挙について新聞に投書、そのため村八部にあった人。
 
2006年イラク自衛隊派兵違憲訴訟原告の一人!
 
子供の時読んでいた歴史の本に子の下の写真と記事が載っていてずっと覚えていました。
 
その歴史本は薄いけど大判で何冊も出ていてとても良い本でした。
 
私が歴史好きになったのもこのほんおおかげでしょう。
 
今でもこの旧村人は口を閉ざす。
 
皐月さんは民主主義は努力しないと手に入らない。モノをいい続けなるしかない」と。
 
物言えば非国民扱いで治安維持法で逮捕された時代は遠くない現状。
 
上野村では、1952年以前から組織的な替玉投票が公然と行われていた。隣組(同村では、戦後も隣組が維持されていた)の組長が各家庭を訪問し、「棄権するなら代わりに行ってくる」と言って半ば強制的に入場券を回収したり、「棄権する人がいたら組長宅まで入場券を持ってくるように」と記した回覧板が廻されるなどして、「棄権防止」という名目のもと、入場券が集められた。即ち、こうして回収された入場券で村の有力者が何度も投票していたのである。しかし、選挙管理者はこれを黙認しており、村民もこうした行為に何の疑問も抱いていなかった
 
 
 
事件の翌年の1953年には、近代映画協会製作・現代ぷろだくしょん協力のもと、『原爆の子』の新藤兼人監督によりこの事件の顛末が映画化され、『村八分』として公開された。さすが新藤監督です。
石川はこの事件の手記を著し、1953年に「村八分の記―少女と真実」を理論社より上梓している。この手記は、後に「現代教養全集第11集・日本の女性」(1959年筑摩書房)に平塚雷鳥らの著作とともに収録された。石川は後年、加瀬皐月として婦人民主クラブに所属し、事務局長として活躍した[出典 3]
この事件を著書で紹介した礫川全次は、こうした事件は今日の日本の至る所で起きているとし、「こうした村落共同体の村八分を「前近代」の遺風と理解する限り、いじめ問題に象徴される現代日本社会の病弊は把えられないであろう」と警鐘を鳴らしている[出典 1]
 
 島岡さんも立派です。
 

 
考える力を取り戻す、大事ですね。
 
ばかでもいい、下流社会に驚きました。
 
無知でも恥ずかしくない風潮、先日「すじなし」にでていた桃色クロバーの一人が
 
シャーロックホームズ知らない、フランスの首都がわからないと悪びれた表情もなく言っていて驚きました。
 
あしながおじさん』大好き派本ですがその中に孤児院育ちの主人公が大学に進学し一般常識を知らないので必死に本を読んで知識を獲得した場面がありました。
 
無知とは恐ろしい、将来が描けないのでは、今の状況の危険さもわからない、自分も家族も守れないのではないでしょうか。
 
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