riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">【 フクシマの教訓、それは原子力発電の廃止!それ以外ではあり得ない 】</span>

原子力発電所の事故は、人間が暮らす社会にあっては許されない出来事である
事故について検証不足、日本の原子力発電の再稼働の可否に関する議論

AP通信 / ワシントンポスト 3月13日





3年前、福島第一原発の事故により大量の放射性物質が、環境中に放出されました。
この事態を受け米国原子力規制委員会は、日本国内に滞在中のすべてのアメリカ人に対し、福島第一原発の周囲80キロ圏から直ちに脱出するよう警告を行いました。
今になってみれば、その対応が極端すぎたとの評価があります。

しかし2012年に米国原子力規制委員会を辞任したグレゴリー・ヤッコ元委員長は、当時の処置は正しかったと信じています。

そして福島第一原発の事故が引き起こしたすべての事実を検証すれば、『フクシマの教訓』が日本はもちろん、世界中の原子力発電所の廃止であることは自ずと明らかだと語りました。

「事故の教訓とはこうです。すなわち、原子力発電所の事故は、人間が暮らす社会にあっては許されない出来事である。そしてそれを言っているのは私という個人ではなく、社会全体だという事です。」

ヤッコ元委員長は3月中旬、日本に滞在中でのインタビューでこのように語りました。
ヤッコ氏は2011年3月11日に津波に襲われ、福島第一原子力発電所が巨大事故を引き起こして3年になったこの日、日本で講義を行い、併せて講演も行いました。


現在はプリンストン大学の子牛を務める43歳のヤッコ元委員長が日本各地で行った講演はいずれも盛況をもって迎えられました。
日本国内の48基の稼働可能な原子炉は現在すべて停止しており、将来原子力発電をこの国のエネルギー政策の中でどう位置づけるべきか、議論が続いています。

一般国民が反対の立場を変えていないにもかかわらず、日本政府は安全審査に合格した原子炉について再稼働させる方針を推進しています。
日本の原子力規制委員会は13日木曜日、九州電力川内原発の2基の原子炉の再稼働承認について、審査の最終段階に入っていることを明らかにしました。

ヤッコ元委員長は原子力発電の安全性については、これまで常に懸念を持ち続けてきたと語りました。

しかし福島第一原子力発電所の事故においては、専門家と称する人々が事故に対する充分な備えをしていなかった事実が隠され続け、その事が彼自身と日本の国民の原子力発電に対する見方を決定的に変えたのだと語りました。

確かにチェルノブイリスリーマイル島は大きな事故でした。
しかしヤッコ元委員長にとっては、複数の原子炉が同時に事故を起こすことはありえない、そして事故が発生しても水素ガスの制御することは可能であるという原子力産業界の常識がすべて覆されたという点において、福島第一原発の事故は前二者よりもはるかに決定的なものであったと語りました。


福島第一原発の事故では3基の原子炉がメルトダウンし、2棟の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。
そして事故発生後、3日間も4日間も原子力発電所全体が制御不能に陥るなどと言う事は、福島第一原発の事故以前には考えられなかったことだと指摘しました。
「私たちは、予測できることについてのみ、事故の対応策を用意していただけだったのです。福島第一原発の事故は、予測の範囲を完全に超えてしまっていました。」

福島第一原発で危機が進行している間、米国原子力規制委員会の中では、避難区域を20マイル(約30キロ)にすべきか50マイル(約80キロ)にすべきか、議論が続けられました。
そして事故の詳細が不明である以上、50マイルの避難をするべきだとの結論に達したのです。
50マイルという広域避難は、米国の原発事故対策の基準において採用されたことはありませんでした。

ヤッコ元委員長は、最終的には運が味方して当時海に向かって吹いた風が多くの放射性物質を運び去ったと語りました。
ヤッコ氏は5年が任期の米国原子力規制委員会の委員長を、他の委員から運営方法について抗議を受けたことにより、3年で辞めることになりました。
彼はこの点について、福島第一原発の事故が発生した後では、米国内の原子力発電所の稼働の更新申請を認める気にはなれなかったと打ち明けました。


転載元: 幸せの青い鳥