riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">英国庭園の歴史と名古屋でら得プレミアム商品券!</span>





やはり予想通り買えなかった
名古屋でら得プレミアム商品券

私は4時起床、家のバラや猫の世話してから

前の家のバラに水やりに行きその帰りコンビニで並ぶ人を観ました。

でもまだ7時前。

とてもこの体では並ぶ気力もなく…
夫に頼みましたが

のんびりノホホン夫婦で…

こんな不公平な商品券配るなと思います。

それより消費税引き下げるとかしたらどうなの!


並び直して二回目の商品券ゲットした人もいて、

10時から販売と公表してるのに8時半から販売した?

買えなかった人たちが抗議し区役所は騒然となっていたそうです。

年配者、病人は長時間並べません。

どこかでは役所の連中が買い占めたとか。

大騒動になることなどはじめからわかるのに役所のやることは



今朝、テレビの旅サラダで懐かしいコッツウォルズのチョッピングカムデンやチャーチルの生家ブレナムパレスが紹介されました。

今回の旅では偶然、チャーチルが晩年を過ごしたチャートウエルを

見学することが出来ました。


10年前に行ったところですが

今回のテレビによるとブレナムパレスの入場料が4000円
ちょっと

あり驚愕。

あの頃の円はもっと強かった!

消費税は上がり、円安、トヨタは税金も払わずぼろ儲け



















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上はウィズリーのバラ園
    最初にロンドンに行った95年頃
市内の公園の大きさ美しさに驚きました。

パブの庭まで小川が流れていたり花の飾り付けが洗練されていて。

グランドツアーなるものがあることを知りました。

グランド・ツアー―英国貴族の放蕩修学旅行 (中公文庫)
とても興味深い本でした。
引用です。
旅行の間、若者は近隣の諸国の政治、文化、芸術、そして考古学などを同行の家庭教師から学んだ。彼らは見物したり、勉強したり、買い物に精を出したりする。中には女性についての修行に励むものもあった[1]。グランドツアーは、若いイギリスの青年たちにとっては、様々な実情や状況に合った生きた知識を手に入れるための実用的な好機でもあったのである。
家庭教師の監視のもと、又、お付きの者の世話を受けながら、若者たちは旅行に出かけた。旅行の最初のスタートは英仏海峡を渡る事で、カレーを経てフランスに入る。多くの若者にとっては、度重なる両国間の激動の時代以来、これ自体がすでに1つの試練でもあった。
フランスは、その礼儀作法や社交生活の洗練さによって、イギリスの貴族階級の高貴さとはまた違った上品なマナーを身につけ、態度振る舞いに磨きをかけるということから人気があった。引用終わり

17.8世紀イギリス貴族のお坊ちゃんは、

トマス・ホッブズアダム・スミス
のような家庭教師と

当時の先進国イタリア・フランスに長期旅行し

絵画や彫刻などを購入。

フランスではルイ14世の専制的な政治が行われベルサイユ宮殿も

威圧的な平面幾何学式庭園フランス式庭園)でした。

イギリスもそれに見習っていたのですがいち早く市民革命
を成し遂げた国ですからフランスに対抗し

自然の景観美を追求した、広大な苑池から構成されるイギリス風景式庭園を作りだしました。

英国庭園の本は読みあさりました。
特に赤川裕著「英国庭園を旅する」

には影響受けて

無謀なレンタカーでの一人旅を実行。

誰も連れて行ってくれないし、
友人に同行頼まれても無事に帰れる自信ないのです。

自然美の賛美と風景式庭園の発展[編集]


クロード・ロランの絵画

ストウ庭園
イギリスにおいて風景式庭園の着想が生まれ発展を遂げた背景には、古典主義の写実的な風景画の影響があったと考えられている。すなわち、17世紀にクロード・ロランなどが地中海風景や古代風建築を描いた絵画がイギリス貴族の間で流行し、それらは彼らの邸宅の壁に飾られることとなったが、さらに彼らは、壁の絵ではなく窓外の現実風景にこれら絵画のような理想的風景を造り上げることを望むようになったのである。風景式庭園の基礎を築いたウィリアム・ケントが、庭師の経験のない画家だったことは、象徴的な事実である。

ガートルード・ジーキル以降[編集]

19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで活躍した女性園芸家ガートルード・ジーキルは、従来のイギリス風景式庭園に対するアンチテーゼとして、自然な植栽と自生植物を生かした造園を提唱した。また、色彩の調和の重要性を説き、花壇作りやウッドランドで実践したカラー・スキーム(色彩設計)の手法を発展させ、庭園設計の技法として用いることを考案した。さらに、建築家エドウィン・ラッチェンスの建築様式と造園家ウィリアム・ロビンソンの自然式の庭園との融合発展につとめ、コテージガーデン


などに代表される造園手法の源流を築いた。なお、後述の通り、日本の家庭園芸の文脈において、注釈なしに「イングリッシュガーデン」との語が用いられる場合、ジークル以降の色彩計画の手法に則って設計された風景式庭園よりも小規模な庭園の様式を指すことがある。


満室で泊まれなかったライの
B&B

下はなぜかお休みのホテル(泣)

最後の写真はロウシャムハウスガーデン