riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">過ちを認められない日本がドイツの謝罪に学ぶこと</span>

過ちを認められない日本がドイツの謝罪に学ぶこと

共同通信ワシントン支局長、ジャーナリスト・松尾文夫氏に聞く

第2次世界大戦の終戦間際に空襲を体験し、ジャーナリストとして「米国とは何か」という問いを追究し続けてきた松尾氏。米国社会を知り尽くすジャーナリストは、国際社会における、戦後70年の日本をどう見ているのか。(聞き手/フリージャーナリスト・室谷明津子)

日本は米国についてあまりにも無知だった


まつお・ふみお
1933年生まれ。学習院大学卒業後、共同通信に入社。ニューヨーク・ワシントン特派員、バンコク支局長、ワシントン支局長、論説委員共同通信マーケッツ社長などを歴任。2002年、ジャーナリストに復帰。著書に『ニクソンのアメリカ』(サイマル出版会)『オバマ大統領が広島に献花する日』(小学館)など多数。第52回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『銃を持つ民主主義』(小学館)は英訳され、米国で刊行されて話題を呼んだ。現在、米中関係についての著作を執筆中。
 私は11歳のとき、疎開先の福井市でB29による絨毯爆撃を受けました。北陸特有の紅ガラ塗りの街並みが燃え上がる中、母親と弟、妹を連れて必死で逃げたのが、つい昨日のことのようです。畑で伏せている私たちの上にも、爆弾が降ってきました。
 たまたまその親爆弾が欠陥品で開かないまま落下し、巨大な泥しぶきを防空頭巾に浴びただけで九死に一生を得ました。夜明けとともに市内に引き上げると、道路も福井城の濠も死体で埋め尽くされた無残な光景が広がっていました。終戦1ヵ月前のことでした。
 強烈な空襲体験をきっかけに、私の中で「米国とはどういう国か」「なぜ日本は米国と戦争したのか」という疑問が沸き起こりました。このテーマを追って共同通信の記者となり、2度にわたるワシントン特派員などで米国社会を取材し、個人的な研究も重ねてきました。
 そしてたどりついたのが、戦前、日本は米国に関して少なくとも2つの間違いを犯したという事実です。
 1つは、対戦相手である米国について、あまりにも無知でした。米国は、今も憲法修正第2条で「銃を持つ権利」を認める国です。国の成り立ちからしてラディカルで、弾圧を逃れた宣教師や金の採掘に夢を託した入植者たちが13の州を作った後、重税を課す宗主国の英国に対して武器を持って立ち向かい、独立の自由を得た歴史を持ちます。
 世界のどの国より先鋭的な民主主義を実践し、人々の間には、中央政府は「必要悪」であり、できる限り小さい政府がいいという考え方が根強くあります。信長の時代から中央権力が刀狩りをしてきた日本とは、国家観が大きく違うのです。
 明治に入って近代化を進める過程で、日本人は欧州、特にドイツから法制度や政治システムを学びましたが、米国については多くを学びませんでした。
東京大学で米国の歴史や政治制度についての講座が設けられたのは、明治維新から55年後の1923年のこと。それほど関心が低かったのです。無理解のまま太平洋戦争を始めてしまった結果、当時眠っていた米国人の愛国心に火をつけた真珠湾攻撃をはじめ、誤算を繰り返しました。結局、広島と長崎に原爆が投下され、みじめな大敗を喫することになったのです。
 しかも、敗戦にとどめを刺したソ連軍の満州侵攻は、真珠湾攻撃の翌日、ハル米国防長官とソ連モロトフ外相との間で「ドイツとの戦いで勝った後は必ず満州に攻め込む」という約束ができていたものでした。当時の日本の指導者が、いかに米国をめぐる国際情勢を知らなかったかという事実は、改めてかみしめておかねばなりません。この状況は、現在の米国との関係においても、さほど変わっていないというのが私の意見です。

もう1つの誤算は、米中関係を甘く見積もったことです。1784年に米国が中国に貿易船を出したことから、米中の交流は始まります。ペリーが日本に来航した1853年より69年も早く、しかも対等な関係でした。この中国との貿易で、米国は市場を広げることができました。
 その後、米国から宣教師が次々と中国に渡り、布教活動をしながら学校を創設したり、医薬品をもたらしたりしました。中国は英国を中心とする欧州列強の帝国主義よりも、利益をもたらしてくれる米国を好意的に受け入れました。古代と冷戦時代はともかく、18世紀以降は、少なくとも中国のほうが、当時鎖国をしていた日本よりも米国と深い関わりを持っていたのです。日本はその関係性に気がつかず、結果として中国侵略で米国と衝突し、日米開戦となってしまいました。
 最近は中国脅威論が叫ばれ、米中は覇権争いで対立していると言われていますが、私は必ずしもそうではないと思います。今でも、両国はお互いの重要性を認め合ったうえで、非常にしたたかに振る舞っています。
 2013年、オバマ大統領と習近平国家主席は、8時間半にもおよぶ会談を行いました。今年9月にまた習国家主席が米国に行きますが、おそらくこれも内容の濃いものになるでしょう。4月の訪米で安倍首相は歓迎されたことになっていますが、比べものになりません。
 戦後、アジアで米中の絆となってきたのが、日本の軍国主義への警戒です。米国は中国に対して、「日本は米国の軍事的な傘の下にあり、核武装もさせない。だから心配しなくていい」というメッセージを送り続けています。
 安保条約があり、沖縄の基地に米軍がいることで、中国が安心しているというのは一つの真実です。これが自衛隊だと、一気に緊張が高まるでしょう。事実、これだけ沖縄の基地問題でもめているのに、中国は一切口出しをしません。韓国もそうです。日本が再び軍国主義になることへの恐怖と不信感は、中国、そして韓国に今も根強く残っているのです。

日本人の手による自主裁判が必要だった

 先日、ナチス・ドイツのアウシュビッツ収容所の元看守が起訴され、92歳の男性が殺人ほう助の罪で禁固4年の刑を言い渡されました。ドイツの検察は戦後70年経った今もナチスの罪を捜査し、裁き続けています。
東京裁判と同じく、ドイツにも連合国軍によるニュルンベルク裁判はありました。しかしそれ以外に、ドイツ人は自ら国家が生み出した罪に向き合い、謝罪と補償を繰り返し、関係国との和解に最大限の努力をしてきました。そして今、欧州の堂々たるリーダーとなっています。
 日本でも自主裁判の動きがなかったわけではありません。敗戦1ヵ月後の東久邇内閣、その後の幣原内閣でも、日本人自身による戦犯裁判が模索された記録が残っています。しかし、連合国軍総司令部GHQ)の反対により挫折しました。
 私は、自主裁判が実行されなかったことで、日本は「敗戦のケジメ」をつける大きなチャンスを失ったと考えています。日本人は自らの手で過ちを検証せず、東京裁判を、そしてサンフランシスコ講和条約を受け入れるだけに終わってしまった。
 象徴的なのが「進駐軍」という言葉です。私が海外で「(日本人は米国の)『占領軍』を『進駐軍』と呼んでいた」と話すと、驚きの声が上がります。日本側は敗戦と占領の事実をあいまいな言葉ではぐらかし、GHQもそれを受け入れた。戦後の日本は、何とも特殊な道のりを歩んできたのです。
 そして今、安倍政権によって、日本の特殊性が改めて浮き彫りになっています。国際的に「歴史修正主義者」と思われている安倍首相が、終戦記念日に合わせてどういう談話を発表するのか、中韓が目を光らせている。戦後70年も経って、いまだ隣国との歴史的和解がなされていないなんて、国際的に見ると異常な国です。


自国の過ちを認めたドイツの英断なぜ日本も同じようにできないのか

 こうした事態を重く見て、多くの有識者が声を上げています。その中の1つである、東京大学の三谷太一郎名誉教授、明治大学大沼保昭特任教授を代表とする歴史学者国際法学者、国際政治学者ら74人による声明に私も参加しています。
 声明文には、はっきりとこう書いてあります。
 「歴史においてどの国も過ちを犯すものであり、日本もまたこの時期過ちを犯したことは潔く認めるべきであります。そうした潔さこそ、国際社会において日本が道義的に評価され、わたしたち日本国民がむしろ誇りとすべき態度であると考えます」
 私は20年前、ドイツのドレスデン大空襲50周年の追悼式典に米英の軍幹部が参加し、その席で当時のローマン・ヘルツォーク独大統領が格調高いスピーチで和解を宣言したことを知り、衝撃を受けました。
 内容は、ナチス国家におけるドイツ人の悪行を認め、謝罪した上で、「生命は生命で相殺できない。苦痛を苦痛で、死の恐怖を死の恐怖で、追放を追放で、戦闘を戦闘で、相殺することはできない」と述べ、敵も味方も一緒に死者のために祈り、平和と信頼に基づく共生の道を歩もうと呼びかけるものでした。
 なぜ日本は同じことができないのか。私はドレスデンの和解を知って以来、米大統領が広島で献花し、日本の首相が真珠湾で献花するという提案をしてきました。このような形で日米が真に和解すれば、国際的にも戦争のケジメをつけることができるのではないかと希望を抱いていました。
 しかし戦後70年目の夏、私の心を捉えるのは憂鬱です。空襲で焼け出されて着の身着のままで逃げてから70年。こういう情けない事態が続いているとは、想像もしませんでした。今さら、あの戦争は悪くなかった、侵略じゃなかったというのは国際的な認識に異を唱えること。安倍首相は過去の過ちを認め、村山談話を継承するべきです。この暑い夏の憂鬱が、杞憂に終わることを心から願います。



転載元: 幸せの青い鳥