riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ヘンリー・ムーアとスコットニーカースル3</span>


古い塔のある城、14世紀のオールドカースルから出て濠の周りを散策しました。




木の橋やシャクナゲ観ているとここはどこと言う感じですが。イギリス
です。







こんなに大きい



ブロンズかな


やはりヘンリー・ムーア、ウィズリーガーデンでも観ました。

日本にも箱根彫刻の森美術館MOA美術館など各地にあります。
一目で何となくムーア作品とわかる感じです。


ムーアはわずか11歳の時、中学校で粘土や木による造形を美術教師に褒められたのをきっかけに彫刻家になることを決心した。早くから前途有望であったにもかかわらず、両親は彫刻を手工業的な労働として認めなかった。
1917年、18歳になると第一次世界大戦を戦うために徴兵された。彼は所属するライフル部隊の中で最も若かった。その後の戦いの中で毒ガスにより傷害を受けてしまうが回復は早く戦争の残りの期間、体育インストラクターとして過ごすことになる。同時代の平均的な人に比べ彼の戦争体験はおだやかなものであった。彼は当時を回顧して「私にとって戦争体験は漠然と英雄になろうと夢見ていたように思う。」と言っている。


戦争画[編集]

この創造的で生産的な期間は第二次世界大戦の勃発で終わってしまう。チェルシー芸術学校はノーサンプトンへと疎開させられムーアは教職を辞すことになった。戦争中ムーアは戦争画家に任じられ、空襲を避けロンドン地下鉄防空壕などで寝泊まりするロンドンっ子の絵を力強くたくさん描いた。[1] その成果は彼の国際的、特にアメリカでの評判を高めることになった。

彼は自分の資産が劇的に増えていくにつれて、自身の生活は相変わらずだったが、遺産については心配しはじめた。1972年娘のメアリーの支援もあり相続税対策としてヘンリー・ムーア・トラストを作った。1977年まで彼は年間約100万ポンドの税を払っていたがその負担を軽減するためイリーナ、メアリーを受託者としてチャリティ事業組織としてヘンリー・ムーア財団を設立した。財団は大衆への芸術教育とムーアの彫刻の保存を活動目的としており、現在ギャラリーとムーアの工房の博物館であるホグランド(Hoglands)を運営している。
1951年ナイトの称号を打診されたが辞退している。その後1955年コンパニオンオブオーナ勲位1963年にメリット勲位を受けている。



前回の白藤のからまる廃墟を池から望む








ホスタもイギリスで人気







再び坂道登って19世紀のニューカースルに向かう途中に
階段下りての見どころが待っていました。
隠れた庭のようでした。

石切り場をガーデンにしているそうです。






スコットニー城は”世界で最もロマンティックな城”と謳われ、ナショナル・トラストでも常に入場者ランク上位を占めるプロパティーだ。
ここにはオールドとニューの2つの城がある。オールドは14世紀の城で濠に囲まれた長方形の4隅に円形塔(Circular Towers)を持つ城だったが、16世紀には南の塔のみを残すだけになっていた。幾多の手を経て1778年にエドワード・ハッシー(Edward Hussey)が所有者となる。 エドワードは1835年から新しいハウスをオールドキャッスルを見下ろす高台に建築する。これがニューキャッスルだ(写真下左2枚)。
1970年に末裔のクリストファー ・ハッシー(Christopher Hussey)が亡くなり、エステートとガーデンがナショナル・トラストに寄贈され、 その後もハウスには夫人のベティ(Mrs Betty)が住まわれていたが、2006年に亡くなられハウスも寄贈され、2007年より一般公開されている。
ハウスの片隅に三日月形の見晴台があり、そこからのオールドカッスルの眺めが素晴らしい。シャクナゲやツツジ、カルミアなどが咲き乱れうねるように重なり合う斜面の遥か下に円形のタワーがロマンチックだ

次はニューカースルの内部をご紹介したいです。
見晴らし台からの眺めが素晴らしい