riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">自然の美しさと人間の愚かさ「野火」</span>



飢餓から人肉を食べる人間の極致をカラーで鮮烈に活写した映画
監督が脚本、編集、撮影、主演まで務めた。…
戦争に傾斜つつある風潮に危機感も覚え、「今作らなければ」と自主制作で完成させた。
フィリピンに出征した戦友会と現地の遺骨収集もした。
「美しい緑の中、突然弾が飛んでくる。これが戦争だ」と体感し自然美と黒ずんだ目だけがぎらつく人間の対比を、皮肉なまでに鮮やかにえがいた…中日新聞7月29日夕刊




1959年に市川崑により映画化された大岡昇平の同名小説を塚本晋也の監督、脚本、製作、主演により再び映画化。日本軍の敗北が濃厚となった第二次世界大戦末期のフィリピン戦線。結核を患った田村一等兵は部隊を追放され、野戦病院へと送られる。しかし、野戦病院では食糧不足を理由に田村の入院を拒絶。再び舞い戻った部隊からも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する。戦場という異常な空間で極限状態に追い込まれた人間たちが描かれる。共演にリリー・フランキー、俳優デビュー作の「バレット・バレエ」以来の塚本監督作品への参加となるドラマーの中村達也。

↓のalfmomさんの「野火」が大変参考になりますので
是非お読みください。




中日新聞の「野火」紹介で塚本監督が演じた田村の写真見ただけでこれは観たい、観なくてはならないと思いました。

自然の美しさと人間の愚かさがよく描かれてると思います。
現地の女性を殺し、「ヒカリゴケ」のように極限を体験させられる主人公たち。

硫黄島からの手紙」でもわかるように水のない所で戦争させる残酷な日本政府。

このような侵略戦争を反省し、平和憲法で交戦した国々に許してもらったのではないのか。

友人でも安保法案には反対だが中国の脅威を言い募る方がいます。

重慶に最初に無差別攻撃したのは日本、
焼き尽くし、殺しつくし奪いつくした日本軍
731部隊の犯罪行為
731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州七三一部隊の略。このような通称号は日本陸軍の全部隊に付与されていた。初代部隊長の石井四郎(陸軍軍医中将)にちなんで石井部隊とも呼ばれる。
満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった[1]。そのために人体実験[2][3][4]や、生物兵器の実戦的使用[5][6]を行っていたとされている。細菌戦研究機関だったとする論者の中でも、その中核的存在であったとする見方がある一方で、陸軍軍医学校を中核とし、登戸研究所等の周辺研究機関をネットワーク化した特殊兵器の研究・開発のための実験・実戦部門の一部であったという見方も存在する。

チャンコロ(中国)、ロスケ、鬼畜米英と差別感一杯で無謀な戦争をし、米国には全国で無差別空襲受け沖縄には上陸され、原爆も2回も投下され惨めな敗戦になったのではないのか。

塚本監督の「鉄男」には痛く感心した記憶があります。

塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 [1]- )は、日本の映画監督俳優東京都出身[1]豊島区在住。大沢事務所所属。日本大学藝術学部卒業。現在は、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科教授。
自ら、製作から監督、脚本、撮影、美術、編集、主演までこなし、そこから生まれる映像には、クエンティン・タランティーノジェームズ・ワン&リー・ワネルギャスパー・ノエダーレン・アロノフスキーなど、世界の映像作家が塚本フリークを公言している。
漫画『AKIRA』に衝撃を受け[要出典]、中学時代から自主映画を作り始める。中学2年生(当時14歳)の時に水木しげるのマンガ『原始さん』を原案にして、8ミリフィルムで映画製作をする。後の『鉄男』の要素が投入されていた。高校では、戦時中に急逝していった画家を描いた映画を作り、手ごたえを感じるが、力量の未熟さを感じ日本大学藝術学部美術学科への進学を決める。

1988年、『電柱小僧の冒険』でPFFアワードのグランプリを獲得する。翌1989年、制作費1,000万、4畳半のアパートで廃物のSFXと少数のスタッフで制作された『鉄男』が、ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを受賞する。一般公開1作目にして国際的評価を獲得、後の海外映画祭における多数の新世代の日本映画評価への先鋒となる(また、この作品は、主演・田口トモロヲの映画俳優としての活動の足掛かりにもなる記念碑的作品である)。
1997年、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた[1]。2003年公開の『六月の蛇』は、ヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞を受賞した。


追記
この映画鑑賞の後、中日劇場で「南の島に雪が降る」を観ました、
パンフ売る人はスマートでしたが
体格の良すぎる川崎や綺麗過ぎる軍服に違和感覚えました。

宝塚出身の俳優がオランダ人女性を演じましたが衣装が美しすぎて…
乱暴されたとは言ってましたが。