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<span itemprop="headline">名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中</span>

窓外に思いはせ46年=「自分の脚で出る」―名張毒ぶどう酒事件・奥西死刑囚

 1969年9月、名古屋高裁で逆転死刑判決を受けた奥西勝死刑囚は、その後の46年の大半を名古屋拘置所(名古屋市)で過ごし、独房から冤罪(えんざい)を訴え続けた。(時事通信)

1964年に津地裁で無罪判決を受けて釈放されたこともあるのに、なんということでしょう。

名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中

朝日新聞デジタル 10月4日(日)13時47分配信

三重県名張市で1961年、農薬入りのブドウ酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」で、第9次の再審請求中だった奥西勝(おくにし・まさる)死刑囚が4日午後0時19分、収監先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で肺炎のため、死亡した。89歳だった。法務省や奥西死刑囚の弁護士らが明らかにした。

【写真】共同墓地の一角に立つ犠牲者の供養塔。右奥が事件現場となった公民館の跡地=2006年12月撮影、三重県名張市葛尾で

 72年の死刑確定後も冤罪(えんざい)を訴え、裁判のやり直しを求める「再審請求」を繰り返し、確定死刑囚としての収監期間は43年に及んだ。獄中生活は、強盗殺人事件で70年に死刑確定の尾田信夫死刑囚に次いで国内で2番目に長かった。今後は実妹(85)が請求人として、再審請求を引き継ぐ意思を示しているという。

 奥西死刑囚は35歳で逮捕された後、一審で無罪、二審で死刑判決を言い渡され、最高裁で死刑が確定。2005年に再審開始決定を受けたが、再び取り消されるという異例の経緯をたどった。

 事件は1961年3月、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で開かれた地域の懇親会で起きた。ブドウ酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起こし、うち5人が死亡。奥西死刑囚は「妻や愛人との三角関係を解消するためだった」といったんは犯行を認めたものの、その後、否認に転じ、一貫して無罪を主張していた。

 公判や再審請求審では、自白調書の信用性▽ブドウ酒の王冠に刻まれた歯形が奥西死刑囚のものか▽ブドウ酒に注がれた農薬が、奥西死刑囚が使ったといったん自白したニッカリンTか――などが主な争点だった。

 7度目の再審請求で、名古屋高裁は05年、犯行に使われた毒物が自白通りの農薬ではなかった疑いがあるなどとして再審開始を決めた。しかし、検察側の異議を受け、同高裁の別の裁判長が再審開始の決定を破棄。特別抗告を受けた最高裁は10年、毒物に関する審理が尽くされていないとして差し戻した。

 同高裁は12年5月、農薬の再現実験の結果をもとに、「奥西死刑囚以外に農薬を混入しえた者はいないという判断は動かない」として再審請求を棄却した。最高裁は13年10月、高裁の決定を支持して請求を棄却した。奥西死刑囚は同年11月、名古屋高裁に第8次の再審請求をしたが、14年5月に棄却。今年5月、9度目の再審を求めていた。

 法務省などによると、奥西死刑囚は名古屋拘置所に収容されていたが、肺炎のために12年6月に入院設備のある八王子医療刑務所に移り、同年7月に重症と診断された。

 13年5月には危篤状態となり、呼吸状態が悪化し、人工呼吸器を付けた。その後は抗生剤の投与や血圧の維持などの対応が取られ、同じような状態が続いた。容体の悪化で、関係者に連絡を取ったこともあったという。今春以降は、39~40度超の発熱を繰り返し、不安定な体調が続いていた。

 死亡の知らせを受け、鈴木泉弁護団長や奥西死刑囚の実妹(85)ら支援者は同日夜、八王子医療刑務所に駆けつけた。特別面会人の稲生昌三さんは「無念でしかない」と語った。

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