riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">「南京大虐殺」の存在は、最高裁が家永教科書裁判の判決ですでに認定している。</span>

 

 
家永教科書裁判とは、日本史の教科書の執筆者である家永三郎東京教育大学教授が、自己の執筆した「高校日本史」教科書(三省堂)に対する1962年の教科書検定
「戦争を暗く表現しすぎている」
等の理由により不合格とされ、その後条件付きで検定に合格するも、多数の改善・修正意見がついて、さまざまに訂正させられたことについて、国あるいは文部大臣を相手取って1965年に起こした憲法訴訟です。
 この訴訟は1997年の第三次最高裁判決32年間も続いたので、世界で最も長く闘われた民事訴訟としてギネスブックに載っているほどの、日本でもっとも有名な憲法訴訟の一つです。
 この裁判で家永氏は、教科書検定憲法で禁じられる検閲に当たると主張しました。
 また、そもそも、子どもたちに対する教育権は国民にあるのか、国家にあるのかということについても大論争になりました。

 
 その第二次訴訟では、1970年に第一審で杉本判決と言う有名な判決が出て、教科書検定は検閲であるから違憲である、また、教育権は国民にあるという判断が出たのですが、結局、第一次から第三次訴訟まで最高裁では、教科書検定は合憲であるとされました。
 ただし、個別の検定については、文部大臣の検定処分には「看過しがたい重大な誤り」があり、裁量権の逸脱・濫用があるとして、国家賠償が命じられました。
 具体的に言うと、家永氏の教科書に対する検定意見のうち、南京大虐殺、同事件での婦女暴行、731部隊、草莽隊に関する検定が違法とされました。
 最高裁が、検定意見に対して国家賠償を認める基準は極めて厳しく、単なる過誤ではだめで、検定意見に「看過しがたい重大な誤り」がないとダメだというものなので、南京事件などについては、検定委員が物凄い屁理屈と言うか、難癖をつけたということになります。

 
 さて、では、家永教科書裁判の南京虐殺事件の部分についてみると、文部省当局は、南京事件は「日本軍の組織的行為であった」と読み取れる記述などを書換えよ、としました。
 日本で南京大虐殺が一般の人の話題になりだしたのは、この家永教科書裁判からでした。
 そして、この裁判の中で、家永訴訟を支援する中国近現代史研究者によって日中戦争南京事件の実相がつぎつぎ明らかにされました。
 逆に、この動きに触発されて「南京事件の嘘」論が登場し、日本軍の虐殺事件をみとめる議論を「自虐史観」呼ばわりすることが右翼的な歴史修正主義者によって一般的になりました。
 ともかく、文部省による南京虐殺事件の記述への訂正要求を違法とする最高裁判決が1997年8月に出てから、日本政府も南京虐殺事件の存在自体は認めるようになり、他の教科書にもひとまず南京事件が記載されるようになりました。
 しかし、現実には南京虐殺はなかったと言いたがる風潮は根強く残っているのです。う。


検定に違法あり!―家永教科書裁判最高裁判決 (教科書裁判ブックレット)
 
教科書検定訴訟を支援する全国連絡会
 
 
 では、具体的に見てみましょう。
 家永教授の「新日本史」は、南京事件について
「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。」
と書きました。
 たったこれだけなのですが、文部省の検定委員はこれに激しく反応しました。
 検定委員はこの部分について
「原稿記述からは、南京占領直後、軍の命令により、日本軍が組織的に中国の民間人や軍人を殺害したかのように読み取れるが、南京事件に関する研究状況からして、そのように断定することはできない。 」
という検定意見を付け、再三にわたって、
「混乱の中で」
「混乱に巻き込まれて」
と書き加えるように求めたため、家永教授はやむなく
「激昂裏に」
の記述を付け加え、やっと検定をパスしました。
 日本軍の兵士たちが上から命令されて殺害したというより、激昂してやってしまったという記載にさせたわけです。
 ここで注意すべきは日本軍の兵士が
「多数の中国軍民を殺害した」
事件があったことと、それが、
南京大虐殺と呼ばれる」
こと自体は、さすがに検定委員も否定せず、問題にされていないことです。

 検定不合格日本史
家永三郎 (著)
三一書房
 
 
 では、少し長いですが、これに対する東京高裁の判断(最高裁もこの部分については、そのまま判断を維持)を見てみましょう。
「行為の主体については、学界においては、 大虐殺の原因、態様については多様な説があって、 全容が把握されていたとは認められず、虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮命令 によって行われたといい得る状況にはなかったと認められるから、原稿記述によって、虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮、命令によって、行われたと読み取られる危険性が多少でもあるとすればこれを修正するよう求めることには合理的な理由があるというべきである。
 理由告知において教科書調査官は、右修正の方法 として、繰り返し「混乱の中で」「混乱に巻き込まれて」を書き加えるように求め、これに応じて「激昂裏に」の記述が付け加えられたのであるが、これによると、虐殺が軍の上部機関からの指揮、命令によって行われたと読み取られる危険性は希薄になった ということができるが、その結果、単に「殺害した」 という客観的事実のみを記載した原稿記述が、虐殺が「激昂裏に」行われたという記述に変えられた。
 しかし、当時の学界の状況は虐殺の原因、態様について多様な説があって、南京大虐殺と呼ばれる虐殺行為のすべてあるいは大部分を、「激昂裏に行われた」と説明し得る状況にあったとは到底認められないのであり、修正意見は、未だ通説、定説とは認 められない見解をもって記述することを求め、検定基準が排除している
「一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述する」
誤りをみずから招来させたもので、看過し難い誤りがあるというべきである。」
 
 
 
 つまり、南京大虐殺
「虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮、命令によって、行われた」
と読み取られないようにするのはいいけれども、単に日本人兵士が激昂したために虐殺行為をしてしまったというような、
南京大虐殺と呼ばれる虐殺行為のすべてあるいは大部分を、「激昂裏に行われた」と説明し得る状況にあったとは到底認められない」
ので、虐殺が激昂裏に行なわれたと書かせた検定意見には、見過せない重大な誤りがあるということです。
 最高裁に言わせれば、虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部からの指揮命令とするまでの証拠もないが、かといって、兵士が激昂して大部分をやったと記述させるのは、看過しがたい重大な誤りだというわけです。

 
 さらに、最高裁(高裁判断を維持)は、南京事件の虐殺部分だけではなく、日本軍による強姦についての検定意見も違法だとして、国家賠償を命じていることが注目されます。
 家永教授の教科書には
「日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。南京大虐殺とよばれる。」
という記載がありました。
 これに対して検定委員は、
「中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった」という記述については、このような事実があったことは認められるけれども、このような出来事は人類の歴史上、このような出来事は人類の歴史上、どの時代のどの戦場にも起こったことであり、特に日本軍の場合だけ取り上げるのあり、特に日本軍の場合だけ取り上げるのは選択と扱いの上で問題があり、削除を適切とする。」
という意見を付けました。
 軍隊が相手国の女性を強姦することはよくあることだから、日本軍のことだけことさらに書くのは問題だ、削除しろってわけです!
 
 
 これに対しては、最高裁は、さすがに厳しく叱っています。
「近代における戦争と古来からの戦争を同一に考えることに合理性があるとは考えられないし、行為の態様、与えた被害の内容等を考慮しないで一律に世界共通の現象として論ずることにも合理性があるとは到底考えられない。  
学界の状況に基づいて判断すると、南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は、行為の性質上その実数の把握が困難であるものの、特に非難すべき程多数で、残虐な行為として指摘され、中国 軍民に対する大量虐殺行為とともに 南京大虐殺と呼ばれて、南京占領の際に生じた特徴的事象とされているのが支配的見解であると認められる。
修正意見は、記述に関する学説状況の認識を誤っ たか、検定基準の解釈適用を誤ったもので、その判断過程に看過し難い誤りがあるというべきである。」
 南京虐殺はなかった、と主張する方々には、よく肝に銘じてほしいものです。
 日本の最高裁判所はこう言っていますよ。
「南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は、行為の性質上その実数の把握が困難であるものの、特に非難すべき程多数で、残虐な行為として指摘され、中国軍民に対する大量虐殺行為とともに 南京大虐殺と呼ばれて、南京占領の際に生じた特徴的事象とされているのが支配的見解であると認められる。

 
 
 虐殺。
 強姦。
 日本軍がやったことも本当に恥ずかしいですが、これをなかったことにしようとすることが、どれだけ恥ずかしいことか。
 あなたたちには、看過しがたい誤りがある。

家永先生(左から二番目)の左隣は、家永教科書裁判弁護団長の森川金寿弁護士。
このブログではおなじみの森川文人弁護士のお父さんです。
 
 
参考資料 
 

家永三郎生誕一〇〇年: 憲法・歴史学・教科書裁判
家永三郎生誕一〇〇年記念実行委員会 (編集)
日本評論社


家永三郎の残したもの引き継ぐもの
大田 堯 (編集), 永原 慶二 (編集), 尾山 宏 (編集)
日本評論社
家永三郎の業績・活動は教科書裁判にとどまらず、歴史学憲法学、教育学など多方面にわたる。彼の播いた種がきわめて広範囲にかつ多面的に開花し発展しつつある状況を確認し、今、彼から引き継ぐべきものを提起する。
 
 
家永教科書裁判では何度も南京虐殺が認定されていますが、最後の第三次訴訟最高裁判決が出たのでさえ1997年ですから、もう18年も前です。
歴史修正主義者たちは、すでに最高裁で認定済みの南京虐殺が、なかった、などという不毛な議論をいつまでするつもりなんでしょうか。


転載元: 幸せの青い鳥