riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">抗議行動in KOBE寺田ともかさん、丹下紘希さんのスピーチ</span>

辺野古・スピーチ」

~やや長いですが、私たち「本土」の人間が考えるべきことを的確にまとめられています~


高校一年生の時、当時の橋下府知事が、辺野古の移設先として関西国際空港を候補に上げたというニュースを新聞で読みました。関空の近くに住んでいた私は、え、うちの街に基地が来るの?と思って、昼休みに社会の先生にその話をしました。

先生は、寺田さんの家の周りは田舎だよね?基地ができたらきっと日本にはないようなバーガーショップとかお洒落な古着屋さんとかも増えるし、街の人が働く場所も増えると思うよ、よかったじゃない、と言いました。私は何となく、珍しいバーガーショップができたら嬉しいな、デートスポットも何もない街に、お洒落な古着屋さんができたら楽しいだろうな、なんて呑気なことを考えていました。

でも、そのあと、先生はこう言いました。今の私の言葉に騙されないで、基地の街で生きるということがどういうことなのか、よく考えてみなさい。そのあと私は、米軍機の墜落事件でたくさんの子どもたちが犠牲になったことや、一部の米兵の性暴力事件が後を絶たないこと、Yナンバーの車に事故が多いことや、それらを日本の法律で裁くことができないことを知りました。

また、琉球処分の時からずっと、この国は、平和を願い、非暴力を貫いてきた沖縄を力でねじ伏せようとしてきたのだと、戦争の時には、捨て石として使い、戦争が終わったら、アメリカの占領下に渡し、日本に復帰してからも、沖縄にだけ平和憲法が適用されていないかのような扱いを続けてきたのだという事を知りました。

そして今もなお、県知事選でも市長選でも県民大会でも、辺野古新基地建設に反対の意思を示し続けてきたにも関わらず、世界で一番豊かなサンゴ礁の海の上に、コンクリートの塊が沈められているという事を知りました。結局、当時の橋下知事はあっさり発言を覆し、関西空港辺野古の移設先にはならなかったし、基地は、私の街にはこなかったけれど、こんなものをずっと押し付けてきたんだという、なんとも言えない気持ちが残りました。

沖縄戦のことも、沖縄の人たちが抱える葛藤や怒りや、痛みや悔しさも、まるで知らない私に何ができるわけでもなかったけれど、この春、わたしは高校時代の友達と一緒に、辺野古のキャンプシュワブゲート前に、2週間と少しの間、座り込みに行きました。その時に、朝早くから毎日座り込みに来ていた、80歳のおばあが、関西に帰ったらみんなに伝えてね、と私に話してくれたことを今日はそのまま伝えたいと思って、ここに立ちました。

私は、ベトナム戦争の時、この島から人を殺しにいくのを止められなかった。この島から飛び立っていった米兵は、本当にたくさんの人たちを殺してしまったの。この国は、とっくに戦争に加担しているんだよ。沖縄では、戦争に加担しないと決めた日本国憲法よりも、安保条約の方がはるかに上にあるんだから。」

この国の最高法規は、戦争放棄と民主主義を謳った、日本国憲法であるはずです。でも、おばあが言うように、辺野古の現実はまさに安保が最優先で、選挙で示したオール沖縄の民意は圧殺され続けています。戦争の何たるかを知っているおばぁは、これ以上戦争に加担してなるものかという強い意思で、雨が降っても、機動隊に押さえつけられても、毎朝ゲート前に立っていました。


一方でおばぁは、この現状をとても冷静に見ていました。「ここだけでは、止められないんだよ。」
問われているのは、沖縄以外の46都道府県に生きる人間なのだと思います。沖縄はもう、明確な答えを出しています。選挙はもちろん、あらゆる手段で、新基地建設にNOをつきつけています。


沖縄にだけ、民主主義が適用されていない現実を前にして、今度はわたしたちが、答えを出す番です。
2015年、11月13日、私は、辺野古新基地建設に反対します。 寺田ともかさんのスピーチより





NoddIN丹下紘希さんのスピーチより


先ずは、若者と年寄りだけじゃなく30代、40代、50代の働いている大人たち、自由な魂を持って、ここに来てくれてありがとう。そして個人の意思を表明することを認めてくれた会社やクライアントや取引先や施工業者の人々に感謝します!

戦争を体験していない最初の人が今や70歳。
今、辺野古では最後の戦争体験者の人達が命がけでアメリカ軍のあり方を問うています。これでいいのか、と。




問われてるのは僕ら。東アジアが戦争になれば、日本の米軍の74%の基地がある沖縄が戦場になる可能性は非常に高い。沖縄を本土の防波堤にしてはならない。そしてベトナム戦争湾岸戦争の時にそうだったように沖縄から飛び立ったアメリカ軍がどこかの戦地で人を殺せば、それは沖縄を憎悪の連鎖の渦に巻き込むんです。

2004年からシュワブキャンプわきでテント張って抗議行動が始まってもう11年以上も基地建設に毎日毎日反対しています。僕らは声を上げる人がいなくなったらそれが悲劇の入り口だと知っているわけです。

誰だって機動隊とぶつかるのなんて嫌ですよ。怖いですよ。そこまでしてゲート前のおじいやおばあが僕らに何を残そうとしているか。想像してみてください。それを僕らやこの先の未来の人たちは受け取れるんでしょうか。


みなさん、戦争体験者にしか戦争の問題を語る資格が無いわけではありません。僕らは過去に起きた悲劇に関して学ぶことが出来る。沖縄は選挙で基地はいらないと民意を示したわけです。それを受け止めるのは僕らなんじゃないですか。無理矢理工事に突入したり、強行採決したり、力で押し切るそんな狂気の世界はやめて、立ち止まって考えてみませんか。

沖縄のことを考えるのは、戦争や暴力を無くすためにどうしたらいいのか?という問いかけでもあります。
70年前の沖縄戦でアメリカと日本は兵士同士が戦って殺されたんじゃない。普通の一般住民が無差別に殺されたんです。沖縄では20万人が無くなりました。そのうち少なくとも12万人が沖縄の普通の住民です。兵士が不足してたから住民が駆り出されたんですよ。

一億玉砕というキャッチコピーでお国の為に死ぬのだと言われた。狂気でしょう。
だから一億総活躍なんて言葉は恐ろしい言葉にしか聞こえない。お国の為に活躍しろと言われてもどんな活躍なのか想像すると怖い。自分がどんな活躍するかどうか自分では決める。

何度でも言いますが国の為に生きるのではなく人のために生きていきましょう
沖縄戦で死んでいった12万人の人たちは沖縄のためじゃなく、まさに国のため、本土を守るために殺されていったんです。僕らは戦争のその恐ろしさを自分も同じ人間として感じている。何故なら自分の中にも人間として狂気というものは存在しているからです。

僕らはアメリカ軍に家族を殺された人がアメリカ軍と暮らしていけと言われたその理不尽を理解してあげられなかった。土地を奪われて。米兵による12才の少女に対するレイプ事件も日本ではさばけなかった。
国の為に我慢しろとこれ以上言うのは間違っている。国の為、国の為って国って誰なんだ。辺野古は象徴です。
日本だけじゃなく、世界の縮図の一つなんです。辺野古のようにアメリカ軍が軍備を拡大しようとすれば、その莫大な軍事費によってアメリカの経済が回る仕組みになっている。

膨れ上がった軍事費に依存して生きていく人たちはお金が足りなくなったら危険を煽りますよ。その恐怖に負けてはいかんのです。お互いにもっと強い武器を持たないと抑止力にならないと言ってより強い武器を求める訳です。しかもその競争に際限がないんです。地球上にはすでに2万500発も核兵器があるんですよ。それでもまだ終わらないんですよ

この先、もっともっと科学やテクノロジーを駆使して別な軍事開発がされていく。
そんな軍事開発をみんなでやめにしていかなくちゃいけません。日本の在米軍事費はその大部分を日本が負担しているのです。基地を広げるってアメリカの軍事費を支えているだけです。日本はアメリカの財布じゃない。

安倍政権は武器輸出3原則を変え、防衛装備移転3原則と言いながら武器輸出を可能にしてしまった。経済発展という魔法の言葉で僕らは知らない間に武器を輸出して死の商人になっていく。(略)

お金で黙る人がいることを知っている政治家が金をばら撒き、地方にやっかいごとを押しつける
それが世界で問題を起こす政治の正体。東京の安全と発展のために、大阪の安全の為に、あなたのためです、あなたを守るために、と言って沖縄をまた犠牲にすることは出来ない。(略)

誰に何と言われようが、自分にとって大切だと感じたことを選ぶ時点で自分らしくあろうと前に進んでいる。

憲法9条の本質は、僕らはあなた方を決して殺さないし、そもそも争う気がないんだ、と意思を表明することにあります。憲法9条が守ってくれるのか?って良く言われますが、それは僕らにかかってる。僕らが本気かどうかに。

辺野古で座り込んで身体を張ってダンプカーを止めようとしている人たちを放ったらかしに出来ない
どうかみなさん、沖縄を再び戦場にしないと強く願ってください。沖縄を戦争に関わらせないと願ってください。これからも戦争の無い世の中を作り出したいと行動していきましょう。沖縄に基地はいらない

PEACE!


転載元: “わが谷は緑なりき”~私の映画ノート