<span itemprop="headline">文化勲章受賞した仲代達矢さんが「“大反戦劇”をつくって死んでいきたい」──「毎日爆撃を受けて逃げ回った少年時代思い出す。今の政治家は“戦争を知らない子どもたち”だ」</span>
1975年、脚本家・演出家だった宮崎さんと無名塾を立ち上げた。二人三脚で俳優を育て、役所広司さん、若村麻由美さんらを輩出してきた。96年、妻が他界したときだ。「俳優をやめるか、無名塾をやめるか」の岐路に立た、悩み続けたがどちらも両立させる道を選んだ。
仲代さんは「受賞は、これまで出会った監督や、無名塾で一緒に勉強している若い俳優たちのおかげだと思うので、皆さんと一緒にこの章を頂きます」と語った。
そして、「反戦映画を撮るんだ」と映画「乱」に臨んだ黒澤明監督の遺志を受け継ぎ、自身も「戦争体験者」としての使命を感じているという仲代さんは「今後は、戦争を知る最後の世代として、大反戦劇をつくって死んでいきたいと思います」と述べた。
以下は記者会見の一部。
どうも、お忙しい中、わが無名塾の稽古場までおいでくださいまして、本当にありがとうございます。
えーっ、今度の受賞に関しましては、本当に有難く頂戴いたします。
記者「お隣に奥様の恭子さんの席をご用意されていますけれども、今日はどういった思いでそちらのお席をご用意されたのでしょうか。」
いろんな、若い俳優、あとで出てきまいりましたけれども、まぁ、一番喜んでいるのは、この賞をいただきまして喜んでるのは、宮崎恭子、隆巴(りゅうともえ)、亡き彼女だと思っております。
東京におりまして、毎日爆撃を受けてですね逃げ回っていた少年時代を思い出しますと、あのーなんだろう、今の、私83歳になろうとしていますが、今の政治家にしてもですね“戦争を知らない子どもたち”ですよ。
ですから、まぁ、そこは本当に平和を願っています。
転載元: TABIBITO