<span itemprop="headline">ハンプトンコートその2秘密の庭と世界最古のぶどうの木</span>
ハンプトンコート、前回はローズ園中心にご紹介しました。
今回は王の秘密の庭プリヴィー・ガーデン
ヘンリー8世が造営し、王家の人々と限られた家臣のみ入ることが許された場所。
ヘンリー8世が造営し、王家の人々と限られた家臣のみ入ることが許された場所。
在位期間38年間に、王妃を6人もとりかえたヘンリー8世
現在のこの庭はウィリアム3世とメアリー2世が1702年に造園した当時の姿で1995年に復元公開されたもの。
キングス・アパートメントから観たプリヴィー・ガーデン
ヘンリー8世の死後この宮殿を更に絢爛たるものに改修したのが
ヘンリー8世時代の多くのものが破壊されたと言う。
クロムウェルでさえ1653年にここに住み執政していた。
一般に公開したのは1838年のヴィクトリア女王
開かれた王室のきっかけとなりたちまちヨーロッパやアメリカからも人を集める場所となった。同時に荒廃していた庭園なども復元や再生された。
イギリス庭園紀行より 旅名人ブックス
横から観たバウアー
イギリス・ステュアート家ジェームズ(後のジェームズ2世)の娘であったが、父がカトリック信者であったのに対して、プロテスタントに改宗し、オランダ総督ウィレム3世と結婚した。名誉革命でイギリス女王として迎えられ、1689年、夫ウィリアム3世と共に即位してメアリ2世となる(在位1689~94年)。ウィリアムはオランダ人で、オラニエ家(英語ではオレンジ家)の人だが、メアリの出身から、ステュアート朝に含めている。
Episode 「夫とならイギリスの国王になります」
メアリとオランダ総督ウィレムの結婚は全くの政略結婚であった。それまで英蘭戦争を戦っていたイギリスとオランダが、フランスのルイ14世のオランダ侵略という脅威を前にして提携することの証として、1677年に結婚したのだが、時にウィレムは27歳、メアリは16歳。ロンドンに迎えに行ったウィレムと一緒にドーヴァーを渡る船中で、メアリーは不安からか泣きあかしたという。父ジェームズ(時の国王チャールズの弟。後のジェームズ2世)は熱心なカトリックであったが、この結婚の前提としてメアリーは夫と同じプロテスタントに改宗した。このことはイギリス議会の反国王派にとって、ジェームズの次はメアリーを国王にしようという目論見を早くから抱かせた。やがてジェームズが即位すると、懸念されたとおり、カトリック復興を謀り、議会と厳しく対立するようになった。そこで、議会はジェームズを見限り、予定通り、オランダ総督夫人メアリに帰国して国王になってほしいと要請した。しかし彼女は、夫のウィレムがイギリス国王になって私に優先する支配権を持たないかぎり、単独では受けません、という条件を付けた。夫を立てたわけである。ウィレムはそれまでメアリに冷たかったらしいが、彼女の夫に対する誠意に感激して、イギリスに渡ることを決意したという(本当はこれ幸いとおもったのかもしれないが)。イギリス議会もその条件を呑んで、オランダ人を共同統治の国王として迎えることに決めたわけだから、メアリの思い通りになったわけである。その後二人はイギリスの共同統治(ウィリアムは依然、オランダ総督を兼ねている)にあたったが、常に夫を立てたからか、ほぼうまく行ったようだ。しかし、二人は子供に恵まれなかった。メアリの方が早く、1694年に死去、ウィリアムは1702年に死んだ。イギリス王位はメアリの妹、アンが継承し、イギリスとオランダの同君連合は解消した。