<span itemprop="headline">嵐が丘とイギリスの思い出</span>
『嵐が丘』のモデル「トップ・ウィゼンズ」を見上げた風景
今回の画像はすべて借物です。
97年頃ロンドンに行き一泊で湖水地方とこのブロンテ姉妹の故郷ハワースに行きましたが上のヒースの丘までは行けませんでした。
ようやく録画した嵐が丘を観ました。
ガタピシの机で書かれた駄作と言われてました。
当時はジェイン・エアのほうが評価高かったのです。
これはわかりやすい話。
孤児院等の悲惨な話で待遇が良くなっていく場面はホットしたものです。
嵐が丘は子供の時に読んだり映画を観ています。
どこまでわかったか、話が前後したり、誰かの証言は本当のことでもなかったり子供にはわかりにくかったと思います。
当時としては斬新過ぎ酷評されたのです。
お話はとても未婚の若い女性が書いたと思えないぐらい暗い情熱があふれています。どうしてこのような傑作が描けたのか。不思議です。
あのような荒涼とした大地で。
オリビエの映画には感心しましたが原作と違ってヒースクリフの悪行は描いていない。
原作よりロマンチックだったから記憶にあるのかも知れません。
主演してくれたので私には
高感度抜群です。
最初の画像、真ん中の戸田さんの横、カッコいい~♪
家庭では6人のお子さんのお父さん
この舞台子役が出て声は大人の役者、ここは面白いと思いました。
何だか主役二人の電撃結婚ばかり話題になったかも。
スウィーニー・トッド(2007年 日生劇場) - ジョアンナ役 演出:宮本亜門 共演:市村正親・大竹しのぶ・武田真治など 血の婚礼(2007年) - 花嫁役 演出:白井晃音楽:渡辺香津美 共演:森山未來・浅見れいな・岡田浩暉など
観ました。
ヘアトン役の矢崎広もミュージカル俳優
97年頃、日本では完売と言われましたが現地に行ったら
日本で手配するより安いしラッキー
カーテンコールも撮影できました。
曲がいいのでCD,パンフ、記念グッズも買ってきました。
特にクリフファンでなかったのですが。
友人が「私強奪する」と言い
その小さな懐中時計奪われました(笑)今も持っているのかしら。
ブロンテ姉妹の故郷も訪問しました。
その後急な坂道を登り彼女たちの教会等を見学。
こういうのに慣れた西欧の女性が
日本に来たら驚いてしまうでしょうね。
日本ではなかなかベビーカーのママや女性に親切でないから。
記念館でブロンテ姉妹の服の小ささに驚きました。
華奢な体だったのでしょうね。
弟も含めて悲劇的な事が多かった姉妹。
写真が出てきたらUPしたいです。引っ越ししてから
行方不明が多く困ります。
当時のイギリス女性は財産を受け継ぐことが出来ず、
地位財産の有る男性と結婚しなければ中流女性でも自活は難しい。
ジェイン・エアのように住み込みの家庭教師ぐらいにしかなれなかったそうです。
キャシーは「ヒースクリフは私」と言うぐらい離れられない
仲なのにエドガーを選んでしまったのです。
引用です。主要人物の子供たちは登場せず、ロックウッドが訪れた「嵐が丘」には、ヒースクリフと妻のイザベラが暮らしている。キャシーは、ヒースクリフの失踪以前には、エドガーからの求婚を承諾しておらず、死因も、生きる気力を失っての病死とされて、はかないヒロインらしさが強調されている。キャシーの死後のヒースクリフの悪行は描かれず、彼の復讐譚も全体的に弱められて、行き違った愛のメロドラマとなっている。
それを読んだヴィヴィアンはいたたまれなくなり、舞台をすっぽかして大西洋航路の客船に飛び乗り、大陸横断鉄道や航空路を経由して、ロサンゼルスへやって来た。また、その頃『風と共に去りぬ』が、主役であるスカーレット・オハラ役の女優が決まっていないままアトランタの火災シーンから撮影が開始された。しかし、製作者の弟であるプロダクション・マネージャーが撮影現場の見物人の1人であったヴィヴィアンの炎に赤く輝く横顔を見て「スカーレットは決まりだ!!」と直感し、思わぬ形でヴィヴィアンは大作の主役に抜擢された。
1801年、都会の生活に疲れた自称人間嫌いの青年ロックウッドは、人里離れた田舎にある「スラッシュクロス」と呼ばれる屋敷を借りて移り住むことにした。 挨拶のため「スラッシュクロス」唯一の近隣であり大家の住む「嵐が丘」を訪れ、 館の主人ヒースクリフ、一緒に暮らす若い婦人キャサリン・リントンや粗野な男ヘアトンといった奇妙な人々と面会する。 ヒースクリフは無愛想だし、キャサリン・リントンは彼の妻でもなさそうだ。 ヘアトンは召使の様な格好をしているが、食卓を一緒に囲んでいる。 しかもこの住人達の関係は冷え切っており、客前でも平気でののしり合っている。 彼らに興味を抱いたロックウッドは、事の全貌を知る古女中エレン(ネリー)に事情を尋ね…