riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">戦争資料館その3 県庁大津橋分室</span>




今日は建国記念日ですがこれによると縄文時代神武天皇が即位したことになります。

縄文時代はまだ身分差のない時代のはずですが。


右下の教科書、神武天皇から始まっています。
当時は天皇の名前を135覚えるのが大事だったようです、縄文弥生時代も出てこない。驚くべき教科書です。









千人針(せんにんばり)は、第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰である。
特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。
政府は、日露戦争の頃には、千人針を含めた武運長久の民間信仰について、迷信であり「頑迷不識の徒」が行うものとして批判し、歓迎していなかった[2]。しかし、第二次世界大戦期には、戦意高揚の手段として、むしろ千人針を奨励するように方針転換していった。
1938年には、千人針を題材に日本最初のカラー映画『千人針』が生まれた。この映画は空襲などでフィルムのほとんどが焼失し、戦後その存在は忘れられていたが、ソ連崩壊後にソ連軍が満州で接収したものが発見され、日本でも知られるようになった。
また、日本だけでなくアメリカ合衆国第442連隊戦闘団(日系志願部隊)でも行われていた[3]
第二次世界大戦後は、日本が戦争を経験しなかったことから、千人針が行われることもなくなった。ただし、元衆議院議員である阿部知子2004年に行った発言によると、自衛隊イラク派遣での第4次復興支援群派遣に際しては、出動する自衛隊員に千人針が贈られた例があったとされている[4]






空襲の被害
左上赤レンガの建物は半田の旧カブトビール





残念ながら大丸心斎橋店と違い、心ときめくような内装、外観ではありません。
一回に岡本太郎の手の形の椅子などがあったのですが今いずこに?

覚王山に有る元松坂屋の別荘の方が立派です。