riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">オードリーが愛したライレローズその1</span>

 

にほんブログ村 演劇ブログ ミュージカルへ(文字をクリック)






まだ頭がボケボケで銀行に通帳忘れてきたり駐車券とらないで駐車場に入ったり、(バーもおりずなんてこと、すぐ気がついて係の人に申告)失敗続きです。

私はこの時はパリの東駅近くに泊まっていたのでパリ南郊外にあるライレローズ に行くにはメトロでセーヌ川を超え、高速郊外電車に乗り換え、またバスに乗り換えです。
土曜日のせいか、無料でした。バガテルは日曜日に行ったら無料。






スペインやフランスで見かけるローマ人の水道橋が!?
白雪姫のお城のモデル,アルカサルへ行った時、巨大な水道橋も見学しました。

これは世界遺産になっているような、水道橋ほど勿論立派ではありませんがここでみかけるとは、花の飾り方も珍しいでしょう。











バガテルより広くないので見やすい薔薇園です。バガテルは今回も行きましたので、また。

ジョゼフィーヌマルメゾンはどうしてあんなに寂しいのでしょうか。
バラといえば必ず登場するのがナポレオンの妃だったジョゼフィーヌ。バラ栽培の大パトロンでパリ郊外のマルメゾン宮殿に300種類ほどのバラを集めさせた。マルメゾンにはバスで行った。意外にあっさりした庭園でバガテルやイギリスのバラ園とは趣が違っていた。バラの数も少なくどうしたことだろうか。どなたか御存知だったら教えてください。バガテルのバラは満開だったのに。

 ナポレオンの妃ジョゼフィーヌはバラの収集だけでなく当時の一流の園芸家や植物学者、バラの画家のルドゥーテを援助したことでも有名。ルドゥーテのバラのボタニカルアートに当時の私は夢中になっていた。子を産めなくて離婚されたけれど前夫との間には子はいた。

































まだまだ続きます。


 ここ、パリ南郊外にあるライレローズは、芳しい香りのオールドローズ、希少価値の高い品種、世界中の育種家が新品種を生み出すために用いる原種のバラの数々に包まれています。
 この世界に名高いバラの庭園は、1844年に貧しい建具屋の息子として生まれたジュール・グラブロー氏によってつくられました。フランスで初めての百貨店『ボン マルシェ』の販売分野のディレクターとして成功を収めたグラブロー氏は、その間に財を築き、48才で退職しました。そして、パリ郊外の小さな『ライ』という村で生涯を家族とともに暮らすことを決め、土地を購入しました。そこで彼はまったくの個人的な趣味として、バラのコレクションを始めます。4年後には、バラの収集が1600品種にも達したため、造園設計家にデザインを依頼し、1899年、私邸内に三角形の「バラの庭」を完成させました。これがライレローズの始まりです。
 その後も世界中からバラを集め、1902年には4000品種(内、900種が原種)にも達しました。これは、当時「もうこれ以上のバラの品種は世界中に存在しない」といわれるほどの数だったのです。品種が増えるのと同時に「バラの庭」も大きくなり、1910年に現在のバラ園の形が完成しました。そうして余生22年間、自分の生活すべてをバラに捧げたグラブロー氏は、1916年に72才で生涯を閉じました。
 ライレローズでは、現在も当時のままのコレクションを観賞することができます。ドームを覆い尽くすほどに咲き乱れるランブラーローズ、連続するアーチからこぼれ落ちる花房。クラシックな趣きのあるオールドローズ特有の優美な姿と香り、そして人々に長く愛され続けてきたその歴史に触れることができるバラ園です。(詳しくは『マイガーデン』30号に掲載されています)


転載元: 猫と薔薇、演劇、旅ファン