riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">椿の法然院特別展へ</span>



銀閣寺~哲学の道から南の法然院






↑は入れないように?ヒモでしばった四角い石が置かれています。


参道に椿が散ってる映像をネットで見ます。

椿と言えば舞台に椿が降ってくる「元禄港歌 -千年の恋の森-」をテレビ鑑賞しました。貧しく差別される人々に目を向ける秋元松代の戯曲演出:蜷川幸雄  涙なしには見られません。
どの登場人物も哀しみを抱き、悪くないのに結末は…








門をくぐると
白砂壇(びゃくさだん)が有ります。





法然と言えば今年1月に亡くなられた前進座中村梅之助氏の演じた法然鑑賞出来たのは有りがたい事でした。


 
ドラマ「遠山の金さん捕物帖」は人気でした。

最近息子さんの梅雀さんが徹子の部屋に出演され

お父さんが19歳で結婚したことや毎年手帳に前進座の演目など全部毎年書き写してきたと言われ手帳も見せてくれました。











浅い知識だけど世界的な宗教の元々の教えは万民平等、非暴力、慈悲、愛に尽きるのではないだろうか。女性蔑視もない。

法然親鸞は革新的な宗派を開いた。前進座も古い歌舞伎から飛び出した劇団。
法然は親を討たれたが敵を恨むなと諭され出家した。彼は当時の仏教のあり方に疑いを持たずにはいられなかった。

仏像を作り、寺や塔を建てなければ救われないなら貧しい民はどうすればいいのか。多くの書を読み深く学ぶこともできず、戒律を破らなければ生きていけないものは救われないのか。
一切経、五千巻余を納める報恩蔵。法然はすでに全巻を五度読み返し、今は善導大師(中国唐代の僧)の観経疏(かんぎょうのしょ)を一心に読み耽(ふけ)っていた。「彼の仏の願(がん)に順ずるが故に(阿弥陀仏の御名を称えることが仏の願いにかなう)……」
阿弥陀仏の本願はすべての人々を救うというものである。
ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱える専修念仏こそ「正行」でありそれで極楽往生できると主張した。
貧しい人や虐げられていた女性にも温かく接した法然
法然は旧仏教側とは争うことなかったが、危険視され土佐に流された。
弟子の親鸞は越後に流された。彼は関東の農村に移りそこで罪を犯さなければ生きられない猟師、漁師、農民、武士に接し、師の法然を乗り越えていく。



さすが法然院は観光のお寺では有り案線でした。
拝観料入れるところも見当たりませんでした。
今日ネットで観たら年間維持費に1000万かかるので寄付をとありましたがそんな箱も見つけられずすいません。





 毎年恒例の4月1日から7日までの「春季伽藍内特別公開」が始まりました。暖冬の影響で椿の開花が早くから進み、中庭の三銘椿(花笠椿・貴椿(あてつばき)・五色散り椿)が例年より20日ほど早い3月20日頃に花盛りを迎えました。盛りを過ぎたとはいえ、何とか特別公開期間中も椿を御覧いただくことができそうです。境内のそこかしこにある桜も少しずつ咲き進んでまいりました。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。昼夜の寒暖の差が激しい季節です。どうぞご自愛下さい。

当院の伽藍の維持は檀信徒からの布施によってなされておりますが境内の環境保全には年間1000万円以上かかりますので広く御寄付を募っております。今年は食堂(文殊菩薩像を安置し、毎月の佛教書を読む集いや読書会に利用しています)の屋根の葺き替え工事、7月17日~18日の集中豪雨で崩落した墓地の崖の修復工事、白砂壇西側と経蔵西側の竹垣修復工事などを行いました。ご協力いただける方は郵便振替用紙の通信欄に「寄付」とご記入いただき、お払い込み下さい。何卒宜しくお願い申し上げます。郵便振替口座番号:01050-4-60318 加入者名:本山獅子谷法然院(ほんざんししがたにほうねんいん)
 東北地方太平洋沖地震と大津波東京電力福島第一原子力発電所の事故から3年半以上経ちますが、まだ大震災後ではなく大震災真只中の日本です。原子力発電は、たとえ発電所における事故がなくとも、ウラン採掘によりオーストラリアの先住民の居住地など鉱山周辺の大地を汚染し、発電所で働く作業員の方々に放射線による被曝を日常的に強い、膨大な時間に亘って廃棄できない放射能汚染物質を管理し続けなければならないという、人類を含め、地球上の生き物とは共存できない事業です。私は、福島第一原子力発電所の事故以降、原子力発電所の無かった日本に戻ることに明日への希望を見出したいと思います。
 サンガはサンスクリットで共同体を意味し、漢訳では僧伽(そうぎゃ)、略が僧です。従って僧は出家者個人を表す言葉ではなく、佛教を信じ、実践する人々の集いを意味しました。ブッダ・佛(真理に目覚めた人)、ダルマ・法(真理・教え)、サンガ・僧の三宝を敬うことが佛教者の最も基本的な態度として定められておりますが、僧を敬うとは仲間を大切にすることを意味しています。800年前に法然上人(1133~1212)は「どんな人間でも『南無阿弥陀佛』と唱えれば、一切の生きとし生けるものを佛に成らせる阿弥陀佛の本願の力(他力)によって阿弥陀佛が建立した清らかな世界(浄土)である極楽に往生(往き生まれること)し、阿弥陀佛のお導きによって悟らせていただけるから、『南無阿弥陀佛』と唱えて生きよ。」と教えられました。信心を定めて『南無阿弥陀佛』と唱えるのではなく『南無阿弥陀佛』と唱えていると信心が定まってゆくのです。法然上人の佛教では『南無阿弥陀佛』を唱えながら、この世で何を願い如何に実践して生きてゆくのかは個々の意思に任されています。世界では出口の無い戦い、痛ましい事件が続き、日本では未曾有の震災が継続しておりますが、お釈迦さまが説かれた縁起(生かされて生きている)という真理を実感し、心に余裕のあるときには慈悲(生きとし生けるものに対する分け隔ての無い大いなる友愛と心を重ねる同情)の精神に基づき、他人ではなく仲間とともに生きる社会であるという意識を持って、拘らず、返礼を求めず、生かされていることの感謝の表現として出来るときに、出来る対象に、出来るかたちで、布施(法施(佛教を説く)・財施(金品を差し出す)・無財施(柔和な顔、身体を他者のために使う等)・無畏施(安心を与える))に代表される菩薩行を実践することを理想としつつ、煩悩にまみれ、善悪ではなく損得ばかり考えて生きている自己中心的な己の現実を見つめながら、法然院という場をお預かりし、信心の確立、学び、安らぎ、出会いの場として皆様方と集い、少しでも心豊かに暮らせる社会となりますよう、法然上人の教えの現代的意義を説いてまいりたく存じます。
漢字では僧伽(そうぎゃ)と書き、これを略したのが僧です。ですから元々の僧は、出家者個人を表わす言葉ではなく、佛教を信ずる人々の集団を意味しました。

佛(真理を悟った人)・法(真理・教え)・僧の三宝を敬うことが佛教者の最も基本的な態度として定められておりますが、僧を敬うとは、仲間を大切にすることを意味しているのです。

私は法然院にご縁のある方々の集いを総称して「法然院サンガ」と呼んでおります。平たくいうと『法然院ファンクラブ』のようなものです。私は寺は開かれた共同体でなければという思いで、当院をコンサート、個展、シンポジウムなどの会場として積極的に提供したり、環境学習活動などを主宰したりし、その結果、様々な集いが当院を舞台に開かれ、活動を通じて親しくなった方々(特にアーティスト)の応援も積極的に行ってまいりました。

私は、寺は、いわゆる布教活動や先祖供養の場としてだけでなく、社会的役割を離れた個人の出会いの場、アーティストを育む空間、地域活動の拠点など、様々な役割を果たしてゆくことができると考えております。法然院には、皆様方の日常とは違った時間が流れていると思います。特に念佛を唱えていただかなくとも、当院に集われる皆様方が、普段とは違う自分を発見していただいたり、○○会社の社員としてではなく、一つのいのちとして他のいのちとのかかわり方を見つめ直していただければ、誠に幸いでございます。

皆様方のご参加を心よりお待ち申し上げております。