riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">『チェ・ゲバラ広島に立つ』②</span>

キューバ(12) チェ・ゲバラ広島に立つ』②

 
FB小西理さんからの投稿を転載します。
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7月25日、56年前の1959年7月25日

チェ・ゲバラが広島原爆慰霊碑に献花した日である
池田勇人通産相(当時)と会見した後,千鳥ヶ淵戦没者墓苑
訪問と献花の予定であったが
・・・
ゲバラは 「私は行かない。数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。 私は絶対に行かない。 行き たいのは広島だ。 広島はアメリカが10万人の一般市民を殺した場所だ」と言い、日本政府を慌てさせる。日本政府は,アメリカを恐れて 広島の正式訪問を認めない。
しかし  ゲバラは広島行きを決行したのである。

ゲバラの広島行きについて
①外務省記録
②随行した日本の新聞記者の記録
③同行した副官のフェルナンデスの日記
それぞれ少し違っているが、副官フェルナンデスの日記に従い
書くことにする

7月23日愛知県 トヨタ工場見学
7月24日大阪での歓迎パーティー出席
パーティー終了後、ゲバラは大阪と広島が それほど遠くない事を知り
僕らには48時間しかない。日本政府には言わずに広島ににいこう
と言い出す。
使節団の半分を大阪に残し、 ゲバラたち3人は極秘に
自分達で乗車券を買い、夜行列車で広島行きを強行する。
広島に着いたゲバラは、1500円の献花用の花を買う
今で言えば2万ぐらいだろうか?
フェルナンデスは倹約家のゲバラの高額な出費に驚いている
ゲバラ
原爆資料館で見たものは ただ恐ろしいものばかりだった」
大きな衝撃を受け
今日からは広島と広島の人を愛していこう
という言葉を残す。
そして「アメリカが犯した罪、 引き起こした惨劇を世界の人が見るべきだというメッセージを、 カストロをはじめ キューバ国民に発する。

そして、日本に対して
君たち日本人はアメリカに これほど残虐な目にあわされて
腹がたたないのか?
』と問いかけた
私は アメリカはあの時から何も変わってないと思う・・・

1959年7月25日に
チェ・ゲバラが妻に送った手紙
愛する君へ
今日は原爆が投下された広島から、この手紙を送ります。
慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ
被害者は全体で18万名に上ると推定されます。
この地を訪れることは、平和のための戦いにおいて糧となります。
愛を込めて
チェ
PS
アメリカは戦後、 原子爆弾を投下したことについて
謝罪していない。
また日本政府が謝罪を要求したこともない
アメリカは「原爆投下は戦争を早く終わらせる為に必要であった」と言うが、それは言い訳にすぎない
アメリカ陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では
「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」と結論が出されている

原爆投下は、 ソ連に対して、 アメリカが強力な科学兵器(原子爆弾)を
保有している・・・ デモンストレーションだったのである

また原爆が武器として どれ程の威力が有るのか?
広島と長崎で実験したのに過ぎない

もし日本に本当の右翼が在るならば、 アメリカに対して
キッチリ謝罪を求めるのが スジである



転載元: mimiの日々是好日