riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">花森安治と松田道雄</span>



最初花森安治が表紙になっている右上の本を買いました。

読み終わっても寝る前にパラパラめくってるだけでも何だか楽しくて明るくなるのです。

それで「しずこさん」の方も買ってしまいました。
暮らしの手帖は花森の料理でもなんでも一流好みで貫かれています。

当時の料理は料理学校の先生が教える物でしたが花森は一流シェフに頼み、それが誰でも作れるような記事を書いたのでした。

取材した人以外が作って同じように出来なければレシピも作り直し。

商品テストの電化製品も必ず2台以上、暮らしの手帖社が買う。

デパートと町の電気屋で同じ製品を買う、当時は製品にバラツキがあっあったため。

同じ商品をいくつも買う。スチームアイロンを18台買ったことも
ある!

帽子をかぶった綺麗な衣装の数多くの女性たちが一列にベビーカーを押す写真!

八百屋さんでも誰でも読めるように優しい言葉で書く。

井上ひさしも同じですね。大事なことは優しい言葉で書く。

「暮らしの手帖」にはかつぎやさんのような差別される底辺の人の生活も温かい目で紹介した。感動します。





津野海太郎の「花森安治伝」を読んでいたら終わりの方に懐かしい
松田道雄の話が出てきました。

私は若いころに松田の「育児の百科」「私は女性にしか期待しない」「私はあかちゃん」「私は二歳」など読んで入院中の産婦人科病棟に持ち込んでいたので医師の関心を引いてしまいました。

「私はあかちゃん」「私は二歳」は大映が映画化しました。



松田家の初代は千姫の侍医と伝わり、祖父は江戸で修行した蘭学医だった[2]。父は京都で小児科医を開業していた[3]

松田は「暮らしの手帖」の常連執筆者だった。
毎日新聞に連載していたコラムをまとめた「日常を愛する」と言う本がある。

平和を守るために、死の商人の貪欲をとき、戦争体験の悲惨を伝えるのもいい。

だが戦争と言う日常の否定に国民のすべてがかつてなぜ参加したか。

当時の情報産業が、新規なもの、センセーショナルなものとして送り込んだ物が最初いい気できいているうちに、やがて洪水となって日常を飲み込んでしまったのだった。

戦争への抵抗は日常を大事にすることだ。

平和を守るのに、殉教者のような反戦活動かよりも、普通の主婦の日常の尊重期待するゆえんである。」この考え方は花森と似ている

今は一層大事だと思えてきます。

花森は京都で倒れた時、松田に世話になっています。
以下は花森のエッセイから

民主主義の「民」は、庶民の「民」だ
ぼくらの暮しをなによりも第一にする、ということだ
ぼくらの暮しと企業の利益とがぶつかったら 企業を倒す、ということだ
ぼくらの暮しと政府の考え方がぶつかったら 政府を倒す、ということだ