riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">” NHKの人気連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子(しずこ)、花森安治(やすじ) をモチーフとしている。ドラマでは、常子が「女性のための雑誌を作る」と雑誌への思いを</span>





 花森安治は、1911年に神戸市で生まれた。6人きょうだいの長男で、33年に東京帝国大学に入学。新聞記者か編集者を希望し、「帝国大学新聞」の編集部に入部した。

 37年に大学を卒業するが、この年に日中戦争がはじまる。軍靴の音は日増しに高まっていた。花森も徴兵され、極寒の中国東北部(旧満州)に赴くことになる。前出の河津さんは、花森から従軍体験のつらさをよく聞いていた。

満州北部の凍えるような土地に派遣されていたとき、夜通しの行軍で『小休止(休憩)!』の声がかかると、雪の上に倒れたそうです。『そんなときは欲も得もなく人間は寝るんだよ』と話していました。部隊にはむやみやたらに殴る上官もいて、末端兵士のつらさや恨みが骨身にしみてわかっていた」

 敗戦から27年が経ったとき、グアム島に潜伏していた旧日本兵が帰国したニュースが大きな話題となった。そのとき編集部員が「もっと早く出てくればよかったのに」と言うと、花森は、

「キミにそういうことを言う資格はない!」

 と、色をなして怒ったことがあったという。

 花森には別の一面もあった。戦地・満州結核にかかった花森は、39年に病院船で帰国。翌年に除隊となり、前の勤め先に復職した。その次の年、帝大新聞の先輩に誘われ、大政翼賛会実践局宣伝部に勤めることになった。戦地で戦う立場から一転、国内で戦意高揚広告の作成に携わるようになったのだ。

 大政翼賛会時代には、〈進め!一億火の玉だ!〉〈屠れ!米英我らの敵だ〉の標語を公募から選び、ポスターの図案を考えた。



「花森は、一銭五厘で戦地に送られた側であると同時に、後の翼賛会時代に兵隊を送ることをあおった側でした。花森のような人物でさえ、戦争に“反射”してのみ込まれてしまった。しかし、そのことを傍観者の立場で批判しても意味はありません。それよりも、日本が再び戦争をしないために、何をしなければならないのか。花森の仕事は、私たちにそれを問いかけている」本誌・西岡千史


転載元: 情報収集中&放電中